清流への誘い

〝焦燥感〟を強める顕正会教学部員

顕正会会長・浅井昭衛は平成31年に「教学部」新設を発表

「教学部」は〝新設〟に非ず、過去に何度か存在していた

 顕正会会長・浅井昭衛は平成31年2月度総幹部会において教学部新設を発表し、10名の教学部員を任命しました。その後、二度にわたり部員を追加し、総勢35名となっています。
 浅井が〝新設〟と発表していますが、顕正会では、前身の妙信講時代も含めて、「教学部」なるものは何度か存在しており、「設立」⇒「自然消滅」⇒「設立」⇒「自然消滅」を繰り返してきました。ただ過去に存在した「教学部」は「教学を浅井の視点から研鑽すること」に意図があり、平成31年設立の「教学部」とはまったく体質が異なっています。
 

平成31年設立の「教学部」は対日蓮正宗のための〝番犬〟

 端的にいうと、末端会員は法華講員に顕正会の〝邪義〟、特に〝顕正会のニセ本尊〟を追求され、返答に窮し、脱会し、法華講員となるものが近年増加してきているため、組織防衛のために顕正会の〝番犬〟部隊を設けたのです。
 平成31年設立の「教学部」の存在意義について浅井は、「正義の論陣を張ること」「法論を担当すること」「教学資料を整理・しゅう集すること」であるとしています。浅井は、教学部のなすべきこととは、「日蓮正宗僧俗と正々堂々と法論し、御遺命破壊の文証を明示、浅井センセーの主張の正当性を証明する」といった響きが表向きにはありますが、教学部新設前後から始まった教学部員の活動の〝実態〟と総幹部会などでの〝でっち上げ報告〟から事実判明したことは、教学部の活動目的が「手段を厭わず、日蓮正宗僧俗との法論において勝利すること」、簡単にいうと「勝ち点をあげること」です。特に、御僧侶方との〝でっち上げ〟法論勝利は大きな〝戦果〟です。

教学部員名簿

教学部長 坪田敏

副教学部長 伊東信昭 藤村雄大 浅野恭浩 大平和寿

教学部員

【あ行】青木潤 鮎沢和寛 今村雄平 臼井忠晴 尾花祐介

【か行】川崎奉之 桑原崇史 小林恵美子 小沼貴寛 

【さ行】佐藤孝夫 椎名憲明 菅原克仁

【た行】高橋健一 富高誠一

【は行】広岡政光 保坂十三

【ま行】南雲高峰

【や行】吉田宗明

計23名

第一次任命 10名 顕正新聞H31年3月5日号

第二次任命  8名  顕正新聞R元年5月5日号

第三次任命  5名   顕正新聞R元年7月5日号

 顕正会の内情に詳しい法華講員(元顕正会員)の方にお聞きしたところ、教学部員は各地域に割り当てられているとのことです。

年を経るごとに減り続ける〝戦果〟

平成31年・令和元年~令和4年における顕正新聞上での教学部員の活動報告を調べてみました。御僧侶方との法論勝利報告は、教学部設立の平成31年・令和元年が最も多く20件以上、令和2年は約10件、令和3年は10件以下, 令和4年は前年の半数以下となっており、〝戦果〟は年を経るごとに年々減少していく一方です。
 御僧侶方は万人を教導する御使命から「正々堂々とした法論であれば導いていくことも大事である」とのお考えから教学部員と相対されたものと推察します。しかし、教学部員の、一方的に大声で(わめ)き、用意してきた資料を一方的に読み上げ、御僧侶方のお話をまともに聞かないという、法論の名に値しない内容を後日法論で圧勝したように脚色して報告する〝卑劣な行為〟の実態を御僧侶方は(かんが)みられ、「法門と申すは心に入れぬ人には云わぬ事にて候ぞ、御心得候へ」(御書・1037頁)
との御教示通り、「心に入れない」教学部員と相対されなくなったのは当然のことです。
 年々、御僧侶方と会えなくなった教学部員は〝勝ち点〟を稼ぐことができなくなり、焦燥感を強くしているものと思います。彼らの存在感は宗門の重要な地位におられる方々との法論勝利の報告があってのものです。教学部員の中でも、坪田、小沼、浅野などの本部職員(顕正新聞社社員)は浅井から給料をもらっているだけに、戦果を挙げ続けないことには存在意義が失われていきます。

ターゲットを法華講員に移している教学部員

 〝勝ち点〟を稼げなくなった教学部員は法華講員、特に妙観講幹部を戦果の対象に移してきています。法華講員が末端の顕正会員を折伏する場において、法華講員の同意もないのに突然教学部員が現れる、いわば〝ステルス作戦〟を試みるケースも耳にします。あらゆる卑劣な手段を屈指して成果を得ようとする「心に入れぬ人」に応じる必要はないと思います。

教学部員との法論は「紙面」で「公開」することが〝原則〟

「ニセ本尊」を崇める害毒まみれの顕正会活動家は「まともな相手」ではない

 日布上人の大幅の形木本尊をはじめ、顕正会の「ニセ本尊」を熱心に崇める顕正会活動家は、「ニセ本尊」を崇める「頭破作七分」の〝害毒〟により〝狂乱〟しており、まともの接しられる相手ではありません。その詳細は「顕正会職員による保険金詐欺未遂事件!」をご覧ください。

教学部員が是が非でも法論したいとまとわりつく場合の対処法

 教学部員が是が非でも法論したいとまとわりつくのであれば、文書にての公開法論を提案するのが賢明だと思います。双方の問答を一字一句間違えることなく、お互いの機関紙である慧妙、顕正新聞に一字一句間違いなく公開するという約束のもと、第一問答は顕正会の〝ニセ本尊〟についての法華講員からの「問」で始める、という条件で、教学部員からの返答が納得いくものであると判断したら紙面による法論に応じてもいいのではないでしょうか。

 教学部員への「問」の一案は次の通りです。

教学部員への質問

浅井は「御本尊七箇之相承にも聞えるごとく、御本尊を書写・活眼遊ばすお立場は、正しく『代々の聖人(ことごと)く日蓮』であらせられる。なればこそ嫡々代々の御本尊に御利益があられるのである」(冨士S61年8月号) 
と述べている。開眼なき本尊は〝ニセ本尊〟であるとの浅井の主張である。ならば、会館安置の「日布上人の大幅の形木本尊」とやらは、御法主上人から開眼をいただいたものか?万人が納得する客観的証拠を示せ。それが示せない場合は〝ニセ本尊〟と断定する。

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