清流への誘い

浅井昭衛が夢想する独裁国家

「国立戒壇」建立後の日本は理想社会となるのか

浅井昭衛は「国立戒壇」建立が日本国の「成仏」と会員に教えています

浅井の指導を列挙

 まずは、浅井の「国立戒壇」建立・理想社会実現に至るためのプロセスを述べた指導を列挙してみます。

 憲法改正は、国会議員の三分の二が賛成し、国民投票で過半数を得れば出来るじゃないか。だから、国民の過半数が戒壇の大御本尊を信じ、国立戒壇を熱願すれば、御遺命はいよいよ実現するのです。

顕正新聞平成5年1月5日号 新春座談会

 国民の総意とは、具体的にはどのように表されるのかと言えば国民投票による多数決で決せられる。すなわち、日本国民の過半数の六千万人が戒壇建立を熱願するとき、大事は決せられるのです。まさにこの国民投票こそ国立戒壇建立の関所であります。

顕正新聞平成23年12月5日号 平成23年11月28日11月度総幹部会

 大聖人は(*国立戒壇)建立に当っての〝必要手続〟を、厳重に定め給うておられる。それが「勅宣並びに御教書を申し下して」である。「勅宣」とは天皇の詔勅。「御教書」とは当時幕府の令書、今日においては国会の議決、閣議決定等がそれに当る。すなわち、「勅宣・御教書」とはまさしく国家意志の表明なのである。        

最後に申すべき事

 もし天皇の国事行為は制限されているというなら、改憲すべきではないか。広布の暁なら、これに異を唱える誰人がいようか。        

最後に申すべき事

 もし国家が日蓮大聖人の正法にめざめれば、これを国家の根本の指導原理、すなわち国教として用いるのは当然である。                      

最後に申すべき事

 政教分離を定めた憲法20条であるが、この条目が設けられた趣旨は、戦前の日本が国教としてきた国家神道の排除にある。(中略) 国家神道の毒を捨てさせたということにおいては一応の評価はできるが、未だ三大秘法の薬を用いるという認識はあるべくもない。その前段階の法制というべきものである。ゆえに将来、全日本人が三大秘法こそ国家安泰の唯一の正法と知る時には、この条目は当然改正される。  

日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ

 個人を単位として三大秘法を持てば個人の成仏、国家を単位として国家生活において三大秘法を持てば国家の成仏です。

冨士昭和48年9月号(121号)  昭和48年8月19日・臨時青年部会

もし日本一同が日蓮大聖人を信じて国立戒壇が建立されれば、このとき国自体が坊非止悪(非を防ぎ、悪をとどめる)の当体になる。だから凶悪犯罪などは、太陽の前の朝露のごとく、忽ち一国から消える。

顕正新聞平成27年9月25日号  平成27年9月6日・姫路会館入仏式

浅井指導「『国立戒壇』建立・理想社会実現に至るためのプロセス」を要約

 上記の浅井指導を要約しますと、次の通りになります。
 一国広布は六千万の顕正会の弘通による。国民の過半数の六千万によって、憲法改正を行い、天皇主権を復活、憲法20条の「信教の自由」を改定、日蓮大聖人の仏法を国教とし、天皇による「国立戒壇」建立の発願、衆参両院の賛同という「国家意志」表明により「国立戒壇」は建立される。「国立戒壇」建立により「国家の成仏」がかない、理想社会が実現する。

「国立戒壇」建立後の日本はどうかわるのか

浅井の指導

 世間では民主主義を最高の政治思想のように思っているが、私はそう思わない。(中略)人類が求める究極の政治体制というのは何か。それこそ、日蓮大聖人が仰せられる「王仏冥合」なのです。民衆の欲望におもねる民主主義でもなければ、独裁者の権力維持のための政治でもない。(中略)すべてが妙法化されなければいけない。妙法の政治、妙法の教育、妙法の国防、妙法の農業――と。

顕正新聞平成7年1月5日号 新春座談会

すべてが「妙法化」とは?

 浅井は「すべてが妙法化されなければいけない。妙法の政治、妙法の教育、妙法の国防、妙法の農業――と」と述べていますが、言葉としてはきれいですが、抽象化されていて、浅井の説く「理想社会」は見えてきません。
 しかし、浅井の「立正安国論謹講」に「妙法の刑法化」という具体的に示されたものが表されています。浅井の夢想する「理想社会」の一端を垣間見ることができます。

浅井の「妙法の刑法化」とは

「立正安国論謹講」での「妙法の刑法化」の説明

 正法を破壊する謗法の行為は、現世には国を亡ぼし未来には万民を永く地獄に堕とさせるゆえ、その罪の大なること深きこと、世間の極悪人に勝ること百千万億倍である。これがわかれば、国主たる者は自らの責務として、これら謗法の者の命根を断じても、その極悪を止めなければならない。

 さて、釈尊が過去世において国王たりし時、謗者の命根を断ったというのも、いつに謗法を禁めて正法を護持するためであり、また大慈悲のゆえである。

 大慈悲のゆえに命を奪うというのはおかしく聞こえるかも知れぬが、よくよく考えれば、謗法者は知らずとはいえ自らの仏種を破壊せんとしているのだ。この自らを殺す非行を命根断絶により救済する。すなわちその色心を断じて慧命を全うさせるのである。またこれ以上の悪業をなすを許さず、命根断絶して未来の堕獄を救うのである。されば殺にも憤怒・残忍から出るものと、このように慈悲より出るものの二つがあるを知るべきである。

 しかしここで注意しなければならないことがある。それは、このような謗法者に対する命根断絶という行為は、国主・国家権力がなすべきことであって、個人は絶対にしてはならない。ゆえに涅槃経にも、釈尊が過去世において国王であった時の行為として説かれているのである

立正安国論謹講

「妙法の刑法化」とは国家による弾圧

 顕正会員六千万の力により、浅井が思い描いていた国家形態が現出。憲法改定により、浅井の説く「日蓮大聖人の仏法」が国教化され、信教の自由が認められなくなり、「日蓮大聖人の仏法」以外を信じる国民への取り締まりが実行され、特に「日蓮大聖人の仏法」に敵対する者には、国主である天皇の命令で厳罰に処せられることになります。謗法者に対しては、天皇はその命を奪って悪業を止めるべきで、それはかえって善行になり、殺される側にとっても救済になる、というファシズム的な論理です。

顕正会員さん、国家による弾圧を認める顕正会を脱会するべきです

 「謗法者に対しては、天皇はその命を奪って悪業を止めるべきで、それはかえって善行になり、殺される側にとっても救済になる」という論理は、あのオウム真理教の麻原彰晃の「ポア」思想と似通っています。麻原は、断命(殺害)を行なう者は「成就者」「智慧ある人」である、と言い、浅井は「国主」「国家権力」に限る、と言っていますが、つまるところ、教えに従わない者は殺害した方が「善行」となり「功徳」となる、とする点では軌を一にしている、といえます。
 「ポア」思想を容認する危険な団体から一日もはやく脱会して、富士の清流たる日蓮正宗に帰依するべきです。


 

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