「御遺命守護完結」は破門後の妙信講(現・顕正会)の〝錦の御旗〟であった
浅井は宗門の「国立戒壇名称不使用」を御遺命放棄と曲解した
日達上人は、創価学会の「言論出版妨害事件」(昭和44年)を契機に、「宗門・創価学会は現憲法の改正による『日蓮正宗の国教化』『国立戒壇を国会の承認で建立』を目標としている」という世間の疑惑を解消する意味合いから、昭和45年5月3日に「今後の宗門においては『国立戒壇』という名称を使用しない」と宣言されました。「国立戒壇名称不使用」だからといって、日蓮正宗僧俗は、日蓮大聖人御遺命の「広宣流布の暁の事の戒壇建立」を放棄したわけではありません。時代相に合わなくなってしまった「代名詞」である「国立戒壇」という語を布教の妨げになるために使わないことにしたのです。
日達上人御指南
今日では「国立戒壇」という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるため、今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします。
大白蓮華昭和45年6月号・大日蓮昭和45年6月号 昭和 45年5月3日創価学会本部総会での御講演
浅井は、宗門の「国立戒壇名称不使用」を「御遺命放棄」と曲解し、昭和45年から「御遺命守護の戦い」を宗門・学会に対して仕掛けてきました。その骨子は「御遺命の戒壇は国立戒壇」「正本堂は国立戒壇を否定するための〝ニセ〟戒壇」「ただちに大御本尊を正常な御宝蔵に御遷座を」です。
浅井昭衛の主張
日蓮大聖人が滅後の門下に残し給うた御遺命はただ一つ、広宣流布の暁の国立戒壇建立である。
冨士250号
浅井昭衛の主張
創価学会々長池田大作は、突如として正本堂なる建物を大石寺の境内のはずれに建て、これを大聖人御遺命の本門戒壇と称し、これよりほかに将来国立戒壇を建てることは有り得ないと、内外に宣言した。まさしく大聖人の御遺命に背き、一国をたぶらかしたのである。
冨士250号
浅井昭衛の主張
細井管長に対する諌暁は正本堂の誑惑を訂正せしめることを目的としたが、阿部管長へのそれ(*諌暁)は、もっぱら御遷座を強く迫った。ゆえに第一回の諌暁書の末文に云く
日蓮大聖人の仏法 改訂版
「阿部管長には早く改悔し、速かに正本堂より奉安殿に大御本尊を御遷座申し上げ、以て誑惑を清算、違背の大罪を償われんことを」
日顕上人の御英断で、平成10年に大御本尊の御遷座が実現
平成10年の大御本尊の御遷座は、浅井の諌暁をお聞き入れられたからではなく、創価学会の謗法化が原因
平成10年4月5日,日顕上人の御英断により、本門戒壇の大御本尊は、正本堂より新奉安殿に御遷座あそばされました。日顕上人が御遷座、それに続く正本堂解体を御決断された原因は、浅井昭衛の諌暁書とやらをお聞き入れられたからではなく、正本堂の存在意義を失わせた創価学会の謗法化にありました。創価学会は、平成2年の大石寺開創七百年慶讃大法要において日顕上人が慶讃文において「大石寺の本門寺名称変更は広宣流布達成後の未来」(趣意)と仰せられると、「本門寺改称により正本堂を本門寺の本堂(御遺命の事の戒壇)とし広宣流布達成とする陰謀が打ち砕かれ、その後、本門戒壇の大御本尊まします日蓮正宗総本山大石寺を魔の山と誹謗し、登山や御開扉の不要論という邪義をはじめ、教義の改変など、数々の謗法行為に及び、御法主上人ならびに日蓮正宗に対し悪口中傷を続けたました。結果として、正本堂建立の発願主であった池田大作は信徒除名となり、並びに創価学会は破門されたが、これに対し、創価学会は、「魂の独立」と自ら叫び宗門からの独立を宣言しました。
総本山大石寺を否定し、自ら独立を宣言した以上、大聖人の御遺命である「本門寺の戒壇」建立を目的とした広宣流布に携わる資格を永遠に失ったことは言うまでもありません。それのみならず、御本仏日蓮大聖人の法統を唯一受け継ぐ日蓮正宗に敵対することは広宣流布の途上における障害以外の何物でもないのです。
したがって、発願主・池田大作、並びに、創価学会の外護による「本門寺の戒壇」建立の可能性は消滅し、これらの者が中心となって建立した正本堂に本門戒壇の大御本尊を御安置申し上げる理由はどこにもなく、正本堂の存在意義が失われる要因となりました。
よって、正本堂から本門戒壇の大御本尊を御遷座申し上げ、存続の理由が消滅した正本堂が解体されることとなった次第です。
浅井は御遷座の一報を知るや、突如「御遺命守護完結奉告式」なるものを執り行った
この「御遺命守護完結奉告式」の様子は、元顕正会本部職員(現法華講員)の渡辺雄二さんの手記で説明されています。
渡辺雄二さんの手記
当日、わけもわからず礼服に身をつつみ招集された幹部は、司会者の言葉に驚きました。開会に際して司会者が発したのは、「ただいまより、御遺命守護完結奉告式を行います」という言葉でした。その言葉に引き続き浅井昭衛が読経をはじめ、寿量品の途中、奉告文なるものを読み上げ、声を詰まらせながら「御遺命守護完結宣言」をし、自我偈・唱題を終えて、浅井は、簡単なコメントのみを残して、その場を立ち去ってしまいました。
顕正会のいうこともこんなに間違っている
「 御遺命守護完結奉告式」の様子は顕正新聞平成年月日号一面に掲載。
「いまついに御本仏の御威徳により、誑惑は根底より清算され、不敬は完全に解消されたのであります」と浅井センセーは万感の思いで述べています。
浅井の御遺命守護完結奉告式で読み上げた一文は次の通りです。
御遺命守護完結奉告文(抜粋)
御本仏日蓮大聖人の尊前において、本日ここに、御遺命守護の完結を、報告し奉るものであります。大聖人様――。本門戒壇の大御本尊が、恐れ多くも誑惑・不浄の正本堂に居えられ奉ってより今日まで、実に26年の長き歳月が流れました。しかるところ、嗚呼ついに、本年4月5日の午後4時、大御本尊は、清浄にして堅固なる新奉安殿に、還御あそばされました。(中略)あゝ26年の長き歳月――。いまついに御本仏の御威徳により、誑惑は根底より清算され、不敬は完全に解消されたのであります。(中略)すでに不敬は解消し、またいかなる大地震にも大御本尊様は御安泰。いまや後顧の憂いは全くなし。
顕正新聞平成10年4月15日号
浅井センセーは、さらに、平成10年4月度総幹部会では「顕正会は、今の宗門には、もう求める何ものもない。不敬さえ解消されればそれでよい。いかなる大地震にも大御本尊様が御安泰であれば、もう後顧の憂いはない」と述べています。浅井センセーの「国立戒壇論」を宗門が認めなくてもいい、そのようなものはどうでもいいと、言っているのではないでしょうか。
顕正新聞平成10年5月5日号掲載の浅井講演の一部
日蓮宗が指摘した「御遺命守護完結奉告式」の矛盾
日蓮正宗は浅井昭衛の「国立戒壇論」を認めるとは言及せず
日蓮宗の「現代宗教」別冊において、「御遺命守護完結奉告式」の矛盾を鋭く指摘しています。浅井はこの指摘に対して一言の反論も出来えないでしょう。教学部員の誰か、浅井の代弁できる者、いるかな?無理でしょう。
(二十)
戒壇の大御本尊の遷座は、大石寺からすべての創価学会のにおいを消したいという発想から行われたもので、なんら教義的理由を伴ったものではない。もちろん、正宗宗門が顕正会の主張を取り入れたものでもないのである。そのことは、浅井氏自身も十分認識しているはずである。にもかかわらず、遷座がおこなわれたという結果のみを捉えて、「御遺命守護完結」と述べるのは、いかなる意図を持つものか、理解に苦しむところである。(中略)なぜなら、浅井氏の云うところの「御遺命」とは、国立戒壇をも含めたものであるはずだが、正宗宗門は、国立戒壇を放棄したままだからである。顕正会の立場からすれば、国立戒壇を含まない「御遺命」解釈は、間違っていることになると思われるのに。戒壇の大御本尊が正本堂から遷座されたことだけで「御遺命守護完結」と大喜びする真の意図は何なのか。全く分からない。
現代宗教研究別冊「日蓮正宗妙信講の新宗教化の過程」
「正宗宗門は、国立戒壇を放棄したままだからである」という文言を、正確にいうと「日蓮正宗宗門は浅井昭衛の『国立戒壇論』は大御本尊御遷座後もかわりなく認めていない」ということです。
日蓮宗は「御遺命守護完結奉告式」を執り行った〝意図〟は不可解と指摘
浅井昭衛の「御遺命守護の戦い」とは、宗門に、大御本尊の正本堂から新奉安殿への御遷座実行と浅井昭衛の「国立戒壇義」を認めさせることを目的としていました。御遷座は実現しましたが、宗門は「国立戒壇」の名称を再び使用するとか、浅井昭衛の「国立戒壇義」を認める等の見解は出していません。御遷座だけでは浅井昭衛の「御遺命守護の戦い」は完結していないのです。日蓮宗は浅井昭衛の「御遺命守護完結奉告式」を執り行った〝意図〟は全くの不可解としているのは当然のことです。
浅井昭衛が戒壇の大御本尊が正本堂から遷座されたことだけで「御遺命守護完結」と大喜びする意図は
浅井昭衛の「御遺命守護完結奉告式」における宗門への〝恭順〟の姿勢は、宗門復帰への〝最後のアピール〟
浅井昭衛が御遺命守護完結奉告文で「清浄」「誑惑は根底より清算され、不敬は完全に解消された」と、宗門への〝恭順〟の姿勢を示したのは、宗門に対する「破門取り消し」の最後のアピールだったであろうと思います。最後のアピールでは「破門取り消し」が最も急を要することであり、宗門が浅井昭衛の「国立戒壇論」を認めるか否かはどうでもいいことだったのでしょう。浅井昭衛にとって「国立戒壇論」は、その程度の〝軽い〟存在にしかすぎません。
顕正会の宗門復帰の道は永遠に閉ざされ、顕正会は「新宗教」化していく
浅井昭衛は、何度も、御御遺命守護が完結した暁には、顕正会は全員宗門に戻れて、御法主上人より御本尊を下付していただき、総本山に登山できて御開扉がかなうと、顕正会員に約束していましたが、まったくの〝夢幻〟となり、宗門復帰の道は完全に閉ざされ、「もはやこれまで」と決心したのか、「唯授一人の血脈否定」、「御観念文改変」、「僧侶なき葬儀の施行」等、独自謗法路線を突っ走ていきます。