清流への誘い

新興宗教「顕正会」の〝悲哀〟

浅井城衛は浅井昭衛を〝絶対的教祖〟と位置付け

浅井昭衛を〝絶対的教祖〟と敬うのは〝凡人〟である浅井城衛の浅はかな知恵

 浅井昭衛の次男である浅井城衛は自らの立場を「先生の名代」と位置付け(令和5年11月28日総幹部会)、それ以降、毎月の総幹部会において浅井昭衛を持ち上げています。

先生が大聖人様の御内証の深秘を如実に拝し奉られている証

令和6年2月24日総幹部会

まさしく先生こそ、大聖人様が広布前夜の濁悪極まる時に遣わされた「遣使還告」の重大なるお立場のお方と、伏して拝するものであります。

令和6年3月25日総幹部会

先生が二十歳を過ぎたころに、管長代務者を務められた中島円妙院日彰上人から六巻抄の講義を一対一で受けられたことにふれましたが、日寛上人の智目を通して御書の極理を師伝された先生のご確信は、このときすでに、大聖人様の甚深の御境界、その奥底・淵底を究められた日寛上人の「吾が祖の本懐掌に在るのみ」との御確信に等しかったものと拝察いたします。

令和6年7月 26日総幹部会

これらの発言から読み取れるのは、会の存続のためには浅井昭衛を〝絶対化〟することが不可欠であるとの浅井城衛の〝凡人〟の知恵、思惑です。

浅井昭衛語録は〝自語相違〟〝公約未達〟〝ニセ本尊疑惑黙秘〟で支離滅裂

浅井昭衛の生前の語録をつぶさに検証すれば、論理的に破綻している自語相違の数々、公言した広宣流布達成時期の未達、予言したことすべての不適中、ニセ本尊疑惑への弁明が果たせなかった事実などから、浅井昭衛を〝絶対化な教祖〟と位置付けることは不可能なことは明白です。

浅井城衛は浅井昭衛語録を一見理路整然しているかのように利用

浅井城衛は、浅井昭衛の立場を「日蓮大聖人より御遺命守護のために召し出され、日蓮大聖人の御意を得て終生一貫として宗門を諌暁なされた偉大なる仏法指導者」とするために、浅井昭衛の生前の語録をご都合よく利用し、一見理路整然としているかのように見せかけているだけです。

浅井昭衛〝絶対化〟は会存続のために不可欠な手段

 なぜ、浅井昭衛を〝絶対化〟しなければ会が存続できないかというと、簡単な話しです。唯授一人血脈相承なされた御法主上人、大御本尊まします、日蓮大聖人の正系門流たる日蓮正宗とは違って、顕正会が日蓮大聖人の仏法を正当に継承しているという“(あかし)”は何一つないからです。顕正会はただの新興宗教です。教祖を〝絶対化〟するのは新興宗教の常套手段です。

浅井昭衛も自身の〝カリスマ化〟を図った

 その新興宗教の常套手段を用いたのは、浅井城衛だけでなく、生前の浅井昭衛も同様でした。浅井昭衛はしばし「大聖人の御命令を信心の耳で聞き奉り」「大聖人ここにおわせば、妙信講(顕正会)に何をお命じになるか」というフレーズを巧みに使い、宗門においてただ一人御遺命守護の戦いに立つ己のみに大聖人の御声が聞こえ、大聖人の御命令に従って行動しているという〝カリスマ教祖〟役を演じました。これまた信徒除名処分を受けた一介の者が新興教団を引率し、日蓮正宗、創価学会に歯向かっていくために必定の手段だったのでしょう。

妙信講の斗いは大聖人様がお指図して下さる、大聖人様が道を開いて下さるのです。

冨士・昭和48年6月号 昭和48年5月26日総幹部会

御遺命守護の斗いは必ず勝ちます。これ妙信講が勝手にやっている斗いでなく、大聖人様がなさっているゆえであります。(中略)日蓮正宗の中でただ一つ、信心一筋で立つ捨身の講中妙信講をして、大聖人様が御遺命守護の斗いを行わしめ、云わしめているのであります。

冨士・昭和49年3月号(127号) 昭和49年3月1日巻頭言

教祖〝絶対化〟〝絶対化〟の手法は新興宗教独特の〝悲哀〟を感じる

浅井昭衛、浅井城衛の手法は新興宗教独特の〝悲哀〟を感じます。顕正会のみなさん、浅井城衛の〝教祖絶対化〟は自己保身のための手段にすぎないことを一日も早く気が付かなければいけません。そして、「富士の清流」たる日蓮正宗に帰依してください。

モバイルバージョンを終了