浅井城衛は、学会は「大御本尊を根本崇拝しない」「日蓮大聖人を御本仏と認めない」と学会批判
顕正会会長・浅井城衛は、令和六年一月度総幹部会において、次のように学会批判をしました。
顕正新聞・令和6年2月5日号からの引用
戒壇の大御本尊の唯一絶対なることと、日蓮大聖人こそ久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてましますことをお示し下さった日寛上人の御指南が邪魔になった池田大作一党は、『日寛教学』などと侮蔑し、ついにそれを捨てるに至り、結局は世間に迎合して、信心のない者に受け容れやすい『釈尊』や『法華経』を前面に押し出した教義に改変したのであります。
顕正新聞・令和6年2月5号
浅井城衛は、「盗人にも三分の理」で、「釈尊」「法華経」を根本としていく学会の邪教化を指摘しているとは思います。しかし、正系門流である日蓮正宗僧俗から浅井城衛の指摘の〝本質〟をみると、「目糞鼻糞を笑う」陳腐なものにしか過ぎないことがよくわかります。
浅井城衛の学会批判は「目糞鼻糞を笑う」〝陳腐〟なもの
日蓮大聖人の根本教義は「三宝一体」
いくら顕正会が「大御本尊を根本崇拝」「日蓮大聖人は久遠元初の自受用身の再誕・末法の御本仏」と崇めたところで、
日蓮大聖人が御教示の、
凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。
真言見聞
僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。
四恩抄
通りの、僧宝であられる御法主上人に信伏随従する信心でなければ、日蓮正宗の根本「三宝一体」の信心ができていないことになります。
浅井昭衛もかつては三宝一体の信心が理解できていた
浅井昭衛もかつては、次のように日蓮正宗の信徒らしいことを述べていました。
自分で勝手に大聖人を崇拝して拝んでも本当の信心は出来っこないのです。功徳はありません。何故かといえば大聖人の御法は付属を受けた方以外にはその極意がわからないからです。
冨士・昭和37年2月号
浅井昭衛は、御法主上人お認めの御本尊は「法本尊」(本門戒壇の大御本尊)・人本尊(御本仏・日蓮大聖人)であると理解できていた
日蓮大聖人の極意をもって、御法主上人が御本尊を御書写・御形木御本尊の開眼をなされることを、かつての浅井昭衛は理解していました。
法体の付嘱を受け給うた嫡々代々の上人が書写し給うた御本尊は、ことごとく即戒壇の大御本尊、即日蓮大聖人の御魂と信ぜよとの御意であります。ゆえに私たちは、いかなる猊下の書写し給うた御本尊なりとも、即戒壇の大御本尊、と深く信じまいらせているのであります。
顕正新聞・昭和63年8月25日号
「本門戒壇の大御本尊を根本崇拝」「日蓮大聖人が御本仏」が顕正会の根本であるならば、御法主上人がお認めの御本尊は人法一箇なので、本門戒壇の大御本尊の〝お写し〟として崇拝することが〝理〟となってきます。逆にいうと、御法主上人がお認めでない「ニセ本尊」は崇拝の対象でないことは当然となってきます。
「ニセ本尊」作りに手を染めた顕正会は、学会の「ニセ本尊」を批判できない
しかし、浅井昭衛は、講中解散処分となり、宗門から御本尊を下付していただけなくなったため、「ニセ本尊」つくりに手を染めてしまいます。各会館に安置されている「日布上人の大幅の形木本尊」という代物は、宗門が認めていない、御法主上人から開眼をいただいていない、浅井昭衛が勝手に作った「ニセ本尊」であることが明らかになっています。 顕正会は学会の「ニセ本尊」に対して激しく攻撃して然りのはずですが、浅井昭衛も浅井城衛も、沈黙を貫いています。なぜ、学会の「ニセ本尊」を「大謗法」であると指摘できないのかは、顕正会も「ニセ本尊」を作成し、崇めているからです。
「宗教の正邪は本尊ににあり」と日循淳上人が御指南
浅井昭衛が〝英邁の御法主〟と慕う第六十五世日淳上人の御指南なら、顕正会員は素直に拝聴するのが当然ではないでしょうか。
日淳上人御指南
宗教は本尊によって、成立するのである。よって宗教の邪正は本尊によって決定せられなければならない。而て此の本尊に於ては正確に邪正を断定できるのである。本尊が正しければその宗教は正しく、反対に正しくない本尊による宗教は迷信であり邪教である。
冨士13号
「ニセ本尊」を崇める顕正会は邪教
「ニセ本尊」を崇める顕正会は、日蓮大聖人がお認めになられない、〝異流義〟にしか過ぎません。顕正会の皆さん、人生の大目標〝一生成仏〟のためには、正系門流の日蓮正宗に一日も早く帰依し、本門戒壇の大御本尊様にお目通りが許される信心をすることが肝要です。