浅井昭衛の通夜・告別式の参列者は“700人”

顕正新聞・令和5年11月5日号で浅井昭衛の通夜・告別式の参列者は“700人”と発表

「浅井昭衛先生追悼号2」と題された顕正新聞・令和5年11月5日号で参列者数が次の通り発表されています。

冨士大石寺顕正会会長・浅井昭衛先生の御通夜・告別式が、月日と日、本部会館において、隊長・区長・支区部長以上の代表幹部700余名が参列して、しめやかに執り行われた。

顕正新聞・令和5年11月5日号

なぜ通夜・告別式の参列者が〝700名〟に限定されたのか!?

 顕正会は、会員数を公称245万(令和5年10月現在,死者数、脱会者数除かず)を自負する団体です。その誰もが師と仰ぐ浅井昭衛に最後の別れをしたいのは当然のことだと思います。しかし、顕正会は、浅井城衛の判断だと思いますが、参列者数を幹部“700名”に限定しました。なぜわずか“700名”に限定したのでしょうか。
 答えは簡単なのではないでしょうか。死に顔が悪かったのではないでしょうか。慧妙・令和5年11月1日号は、浅井昭衛の「臨終の悪相」の証人・証拠があるとしています。詳しくは当ブログ「浅井昭衛の死相は“悪臨終の相”であった」を閲覧ください。
 

浅井昭衛の「成仏の相」を末端会員まで見せるのが浅井センセーの“最後の指導”のはずだった

 末端会員が会館などで有料(確か一枚10円では)で購入し、駅前などの街頭で配布しているいわゆる「広告文」、顕正会の収益の柱のはずです。その「広告文」には次のように書かれています。

成仏の相とは、臨終ののちに色が白くなり、軽く、柔らかく、かつ柔和な相となる。

基礎教学書「日蓮大聖人の仏法』広告文

 駅前などの街頭で、熱心に、「広告文」「顕正新聞」を自腹で購入し、純粋に布教活動をする末端会員に、浅井センセーの見事な〝成仏の相〟を拝ませることが、浅井センセーの最後の指導であったのではないでしょうか。しかし、それができなかったのです。
 

末端会員はなぜ浅井昭衛の「死に顔」が見れなかったのか、考えてみてください

 末端会員はなぜ浅井センセーの「成仏の見事な相」を見ることができなかったのか。考えてみてください。詳しくは当ブログ「浅井昭衛の死相は“悪臨終の相”であった」を閲覧ください。

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