顕正会の邪論

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新興宗教「顕正会」の〝悲哀〟

浅井城衛は浅井昭衛を〝絶対的教祖〟と位置付け 浅井昭衛を〝絶対的教祖〟と敬うのは〝凡人〟である浅井城衛の浅はかな知恵  浅井昭衛の次男である浅井城衛は自らの立場を「先生の名代」と位置付け(令和5年11月28日総幹部会)、それ以降、毎月の総幹...
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顕正会「300万達成」という〝妄想〟

浅井城衛が「300万達成」時期を明言 令和6年7月度総幹部会において「300達成」時期を明言 浅井昭衛死去後の会長職に就いた浅井城衛が公称会員数「300達成」時期をいつに設定するのかを注目していましたが、ついに令和6年7月度総幹部会において...
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浅井昭衛は〝遣使還告〟の重大なるお立場?

凡人の知恵 浅井昭衛の〝神格化〟を推し進める浅井城衛 浅井城衛は「無二の師匠」は浅井昭衞のみ、自身は「ただの名代」と規定  令和5年10月16日に亡くなった顕正会会長・浅井昭衛の跡を継いだのは、周知のとおり、次男の浅井城衛。浅井城衛は、令和...
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「目糞鼻糞を笑う」浅井城衛講演

顕正会破折 顕正会会長・浅井城衛は、学会が「大御本尊を根本崇拝しない」「日蓮大聖人を御本仏と認めない」と批判するが、学会の「ニセ本尊」は批判できない
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浅井昭衛の主張「御宝蔵説法本に『天母山築壇説』が明示」は本当か!?

日蓮正宗では「天母山築壇説」は否定されている 昭和45年3月に「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」を宗門に提出し、宗門攻撃を開始する  浅井昭衛は「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」という自称・諌暁書の中で、次のように「天母山築壇説」を主張...
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宗門の「国立戒壇」名称不使用は〝御遺命放棄〟か?

日達上人は昭和45年5月3日創価学会本部総会において「国立戒壇」の名称不使用を宗門において決定したことを公表された 日達上人は「今日では『国立戒壇』という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるために名称不使用と決定した」と御...
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「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」の〝奇異〟

昭和45年3月に「諌暁書」を宗門に提出し、宗門攻撃を開始する 「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」(諌暁書)は、日達上人の「相伝」による御指南を否定し、浅井自身の「御書根本」の〝会通〟が絶対とした〝邪論〟 「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う...
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浅井昭衛・正法逸脱の“原点”

日蓮正宗から逸脱し、大謗法団体と化した顕正会  現在の顕正会の正法逸脱・大謗法については、当ブログ「顕正会破折」にて詳細に説明させていただいておりますので、ご参照ください。 浅井昭衛の正法逸脱の“原点”はどこであったか 顕正会の「異流義化」...
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日蓮宗に嗤われた浅井昭衛の“猿芝居”

「御遺命守護完結」は破門後の妙信講(現・顕正会)の〝錦の御旗〟であった 浅井は宗門の「国立戒壇名称不使用」を御遺命放棄と曲解した  日達上人は、創価学会の「言論出版妨害事件」(昭和44年)を契機に、「宗門・創価学会は現憲法の改正による『日蓮...
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浅井昭衛が夢想する独裁国家

「国立戒壇」建立後の日本は理想社会となるのか 浅井昭衛は「国立戒壇」建立が日本国の「成仏」と会員に教えています 浅井の指導を列挙  まずは、浅井の「国立戒壇」建立・理想社会実現に至るためのプロセスを述べた指導を列挙してみます。  憲法改正は...
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