浅井城衛が「300万達成」時期を明言
令和6年7月度総幹部会において「300達成」時期を明言
浅井昭衛死去後の会長職に就いた浅井城衛が公称会員数「300達成」時期をいつに設定するのかを注目していましたが、ついに令和6年7月度総幹部会において明らかにしました。
顕正会にとって〝仏勅〟たる浅井昭衛のメモ書きを発見
顕正新聞・令和6年8月5日号に掲載
浅井城衛は、浅井昭衛が保管していた昨年6・7月法戦の折伏成果一覧表余白のメモ書きに
300万までの残、563,964人、あと5年以内に成すべし
顕正新聞・令和6年8月5日号
と、浅井昭衛が記してあったのを見つけたとし、仏勅のごとく受け止め、
本年から数えればあと4年以内、すなわち2028年・令和10年まで
顕正新聞・令和6年8月5日号
に「300万達成」を明言しました。
令和10年に公称「300万達成」は容易い目標
顕正会の公称会員数は昨年247万を突破し、300万まであと52万余りとしています。うわべだけの累計会員数300万を令和10年までに達成するのは容易い目標です。
浅井昭衛の「300万達成」時期は今回のメモ書きで初めて示されたのか
浅井昭衛が「300万達成」時期を示したのはそのメモ書きが初めてかというと、事実はそうではありません。
詳細は当ブログ「浅井センセー〝あと20年〟はどうしました!?」を参照ください。
かつての浅井昭衛にとっての「300万達成」はただの“通過点”
浅井城衛は「300万達成が広宣流布のカギ」といっていますが、〝無二の師匠〟である浅井昭衛は平成9年には「日本を揺り動かす力は300万では足りない。1000万人になったとき、一国は必ず動く」(趣意) (顕正新聞・平成9年8月15・25日合併号)と、300万達成を重要視していませんでした。そして、平成10年の「還御を祝し奉る」記念大会で、その1000万人を平成26年までに必ず達成すると公言していました。この当時の浅井昭衛にとって300万はただの〝通過点〟に過ぎなかったのです。結局、平成26年11月末の公称会員数は169万5千で、1000万とは隔絶の感があります。
平成33年300万達成宣言は未達となった
〝平成26年1000万弘通〟という誇大妄想の夢から覚めた浅井昭衛は、平成21年には、現実路線に転嫁し、次のように明言しました。
いつまでにこれ(*300万の大陣と、その先陣たる男子10万結集)を成し遂げるのか。(中略) 私は、あと12年のちの平成33年、2021年までに、断じてこれを成し遂げたい。
顕正新聞・平成21年9月5日号
顕正新聞・平成21年9月5日号に掲載
2021年12月での顕正会の公称会員数は230万人。「断じてこれを成し遂げたい」としていた「300万達成」は未達となりました。2021年に他国侵逼の難の前兆すら現れていません。2021年以降の浅井昭衛は余命幾ばくもないのを自覚したのか、「広宣流布は近い」と、か細くいうだけで広宣流布達成の時期の公言はやめています。
令和10年「300万達成」で奇跡は起こるか!?
「300達成が広宣流布のカギ」と刷り込まれている顕正会員は、令和10年までに300万達成を成し遂げ遂げ、国家諌暁に立った時、大聖人様の御加護により、国立戒壇建立のための6000万弘通は一機に進み、〝国家成仏〟という理想社会を現前にできると固く信じていることと思います。
公称「300万達成」は顕正会崩壊の始まり
浅井昭衛は、「100万達成」「200万達成」のときにも、同様なことを言っていました。
100万が成れば、一国広布は必ず成る。まさしく100万こそ、一国広布の鍵なのである。
冨士・平成5年1月号(339号) 年頭の辞
この200万は、大聖人様の御守護により、一気に加速度をつけて500万,1000万、6000万となる。されば200万こそ、まさに広宣流布のカギであります。
顕正新聞・平成26年9月25日号 平成26年9月7日男子部大会
「100万達成」しても、「200万達成」しても、奇跡的な展開が起こらなかったように、「300万達成」しても、何の変化もみられないと思います。「300万達成が広宣流布のカギ」というのは、会員を教線拡大に狂奔させるためのただ単なる〝目の前の人参〟にしかすぎません。
300万達成を目標に、寝食を忘れて教線拡大に努めている方、生活に影響を及ぼすほどの多数部の顕正新聞、広告文を購入されている方、残念ながら「300万達成」で奇跡は起きません。
「300万達成」した顕正会に待ち受けるのは、現状は何もかわっていないという脱力感・無力感です。令和10年「300万達成」は顕正会崩壊の始まりとなります。
顕正会の皆さん、日蓮正宗に帰依を
顕正会の皆さん、貴重な人生を浅井城衛の口車に乗って狂わすことなく、日蓮大聖人の正系門流である日蓮正宗に一日も早く帰依しましよう。