浅井昭衛・正法逸脱の“原点”

顕正会の邪論

日蓮正宗から逸脱し、大謗法団体と化した顕正会

 現在の顕正会の正法逸脱・大謗法については、当ブログ「顕正会破折」にて詳細に説明させていただいておりますので、ご参照ください。

浅井昭衛の正法逸脱の“原点”はどこであったか

顕正会の「異流義化」の“根本原因”を考察すると

 かつて本宗の一講中であった妙信講がなぜ講中解散処分(昭和49年)となったのか、解散処分後、本宗の教義から著しく逸脱してゆき、今日の、本宗の戒壇義とかけ離れた「国立戒壇論」の主張、「ニセ本尊」の発行、「僧侶不在の葬儀」施行等の、異流義と朽ち果ててしまったのか、その“根本原因”はどのにあったのか、考えてみました。

日蓮正宗においては「相伝」が根幹である

 日蓮正宗は、日蓮大聖人が

此の経は相伝に有らざれば知り難し

一代聖教大意

と仰せの通り「相伝」を根幹にしています。

(じき)(じゅ)(けっ)(ちょう)付嘱は唯一人なり。(乃至)上首己下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり

百六箇抄

との御教示の通り、唯授一人の血脈相承を受けられた御法主上人の「御内証」は日蓮大聖人の「御内証」と同じなので、御当代の御法主上人に信伏随順することが、日蓮正宗僧俗の根幹であります。

当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞くべき事

日興遺誡置文

 正系門流においては、日蓮大聖人の御遺文(御書)を根本にすることが当然だが、御書の正しい解釈は大聖人以来代々「御内証」を所持されておられる、その時代の唯一の正師である御法主上人の御指南に沿うことが、「極理を師伝」することであると仰せられています。

浅井昭衛も「相伝」が根幹であることは“表向き”(タテマエとして)表明していた

 若き日の浅井昭衛は次のように、御法主上人に信伏随順する信心の大切さを妙信講員に“表向き”(タテマエとして)には教えていました。

 大聖人の御法は付属を受けた方以外にはその極意がわからないのです。(中略)この唯授一人の御相承以外に仏法を清純に後世に伝えて行く活手段はありません。だからわれわれは唯付属を受けられた御法主上人に随順し信心して行けばよいのです。               

 冨士2号/  S37年2月号

 「御遺命守護の戦い」(昭和59年発刊)においても、

そもそも本門戒壇の建立は、総じては門下一同への御遺命とはいえ、別しては御法主上人一人への付属たること、「一期弘法付属書・日興跡条々事」に明白である。ゆえに時至って具体的建立の運びとなれば、時の御法主が相伝に基きこれを決定指示されることはいうまでもない。

冨士250号

と、戒壇義の解釈において浅井自身が「相伝」に基づくこと、時の御法主上人の御指南に従うことが絶対であることを述べています。この記述は正論です。浅井が「正本堂の意義付け」について、日達上人の御指南通りに受け止めていたならば、講中解散処分、今日の異流義化へとはならず、多くの眷属を堕地獄へ導くこともなかったのです。

なぜ浅井昭衛は日達上人の御指南に従えなかったのか

「言論出版妨害事件」を契機に学会を蹴落とし、宗門で台頭しようと試みた

 昭和44年末の学会による「言論出版妨害事件」を契機に昭和45年になると学会の「王仏冥合」思想が世間から著しい疑惑をもたれました。浅井はこの世情が学会を蹴落とし、宗内において一派が台頭する絶好の機会と捉えたのだと思います。昭和45年3月に宗門に「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」という自称「諌暁書」の提出をもって「御遺命守護の戦い」を開始しました。

「御遺命守護の戦い」とは正本堂を御遺命の戒壇としたい池田大作、池田の権力に媚びへつらう日達上人・宗務当局、御遺命を守護する浅井一派という、浅井の自作自演の“三文芝居”です。

 浅井が日達上人の御指南を御遺命違背しているとした根拠を浅井自身は次の通り説明しています。

「相伝」よりも「御書」「御歴代の御筆記」の“勝手読み”による“会通”が優先するとの理由付けを行った

あまりにもいぶかしい。この上は大聖人に聞き奉り、歴代先師上人の御指南を拝する以外になしと、改めて御書四百余編を、満身の毛穴から汗の吹き出る思いを以て拝読した。御本仏の聖意は炳焉(へいえん)であった。また日亨上人の苦心収取の御歴代の御筆記を拝するに、法水(しゃ)(びょう)の相伝家の有難さ、本門戒壇についての先師上人の御指南は、一糸乱れず異口同音であった。かくて見れば、まさにいま七百年来の大事の御遺命が、あろうことか時の法主の権威を以て、曲げられんとしているではないか。

冨士250号

「相伝」より、「御書、御歴代の御筆記の〝勝手読み〟」による“会通”の方が上という大慢心の元、

時の貫主たりといえども、仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事

日興遺戒置文

の御文を曲解し、浅井昭衛は「我に法主の仏法違背を批判する資格あり」とばかりに、日達上人に対して師敵対の行動を起こしていきます。

浅井昭衛は日蓮大聖人以来の「法門相承」はすべて公開されていると勝手に判断をした

顕正新聞平成5年1月5日号より「法門相承はすべて公開」と学会の「御書根本」と同じことを述べる浅井センセー

浅井昭衛が「法門相承」はすべて公開されていると勝手に判断をした「文証」

寛尊の精美を極めた大事の御法門は、六巻抄および重要御書の文段に尽き、それ以外には絶対にない。 

冨士312号 / 平成2年5~6月号

この法門相承は、日興上人への秘伝ではあっても総付であるから、時代と共に公開されるのは止むを得ない。ここに堀上人が、富士宗学要集の「相伝の部」にこれをすべて公開されたのだね。

顕正新聞・平成5年1月5日号「新春座談会」

日顕上人は、法門相承に別しての「十二箇条法門」があることを示された

日顕上人は、第46回全国教師講習会(平成9年8月26日)の「特別御講義」において、「御相伝」に御法主上人だけに伝わる、別しての「十二箇条の法門相承」があることを御指南あそばされました。

『家中抄』の日道上人の伝の終わりに、
「御上洛の刻み、法を日道に付嘱す、所謂形名種脱の相承、判摂名字の相承等なり。総じて之れを謂えば内用外用金口の知識なり、別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり、甚深の血脈なり、其の器に非ざれば伝えず、此くの如き当家大事の法門既に日道に付嘱す。爰に知りぬ、大石寺を日道に付嘱することを。後来の衆徒疑滞を残す莫かれ」(日蓮正宗聖典六九五)
とあります。このなかの「外用」とは、外に向かって仏法の筋道を示す、従浅至深、一切の法門であり、日寛上人の挙げた名目も、大体ここに入ります。
 「内用」とは、嫡々代々の内証において用いる真の唯授一人、七百年、法統連綿をなす根幹の相承、一言一句も他に申し出すべからずと示されたる、別しての十二カ条の法体法門であります。故に、日亨上人といえども全く公開せず、極秘伝の扱いのまま、今日に至っております

創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す

 浅井昭衛がいくら御書全編を「満身の毛穴から汗の吹き出る思いをを以て拝読」したとしても、別しての「十二箇条の法門相承」を知る由もないのですから、日蓮大聖人の〝御真意〟を会通でき得るはずがありません。日蓮大聖人の〝御真意〟を所持されるのは、血脈付法の御法主上人のみです。

「相伝」を蔑ろにする「御書根本」の判断は大謗法である

 浅井昭衛の「御書、御歴代の御筆記の〝勝手読み〟」による“会通”が絶対とする判断は、学会の「大聖人直結」「御書根本」と瓜二つの理論武装です。
 日淳上人は「相伝」を蔑ろにする「御書根本」「文書根本」による判断を誡められておられます。顕正会員は、「英邁な御法主」と崇める日淳上人の御教示に素直に耳を傾けなければいけません。

申す迄もなく御相伝となりますれば直接御指南の金口嫡々の御相承や宗門の上の御教示等重々あらせられると拝しますが、それは御法主上人として大事大切でありまして、一般の僧侶や信徒としては御法主上人に随順し奉ることによって、自ら受けることができるのであります。(中略)此れ(*公開されている御相伝書)を以って全部であると速断してはならないのであります。     

日淳上人全集

「時の貫主たりといえども・・・」の御文は在家を対象としていない

日興遺戒置文においては、末文に

万年救護の為に二十六箇条を置く。後代の学侶敢て疑惑を生じること(なか)れ此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有るべからず

日興遺戒置文

と記されています。日興遺戒置文は「後代の学問する僧侶」に与えられたもので「在家」に与えられたものではないことが明らかです

日享上人が、

時代はいかように進展しても、無信・無行・無学の者がにわかに無上位(*大導師位)に昇るべき時代はおそらくあるまい。一分の信あり、一分の学ある者が、なんで仏法の大義を犯して勝手な言動をなそうや。(中略)いかに考えても、偶然に、まれに起こるべき不祥事であるとしか思えぬ

富士日興上人詳伝

と仰せのように、法主が己義を構えるような事態は、たとえば寛尊以前の、本宗教学が整理体系化されておらなかった上古の時代などに、ごく稀に起こりうることに対する備えであって、日常の通例と考えるべきではないのです。(幸いにしてそのような事例は発生しなかった)

浅井の「相伝」に対する“ホンネ”とは

浅井昭衛の「相伝」について“ホンネ”で話している「文証」を引用します。

俗にいう〝口伝え〟などということではないのです。もしそういうものだったら、長い年月の間には変化してしまうじゃないか。     

顕正新聞平成5年1月5日号

「『口伝』すなわち『相伝』は“伝言ゲーム”のように年月がたつと変化してしまう。たいしたものではない」とでも言いたいのでしょう。日蓮正宗の根幹である「相伝」を極めて軽く見ていることに驚いてしまします。

「『御書根本』『文書根本』で日蓮大聖人の仏法は“会通”で出来うる。『相伝』などたいしたものではない」とでも言いたいのでしょう。不遜の極みというものです。

浅井昭衛の“実体”とは

 日蓮大聖人は、浅井昭衛や池田大作のような、師敵対の在家が出現することを御予言されておられます。

末代の衆生は法門を少分こころえ、僧をあなづり、法をいるがせにして悪道におつべしと説き給へり。法をこころえたるしるしには、僧を敬ひ、法をあがめ、仏を供養すべし。

新池御書

 まさに浅井昭衛は「法門を少分こころえ、僧をあなづり、法をいるがせにする」仏法破壊者です。顕正会員は堕地獄の道を逃れるためには、脱会し、日蓮正宗に帰依し、「僧を敬ひ、法をあがめ、仏を供養する」ことがまずすべきことです

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