清流への誘い

宗門の「国立戒壇」名称不使用は〝御遺命放棄〟か?

日達上人は昭和45年5月3日創価学会本部総会において「国立戒壇」の名称不使用を宗門において決定したことを公表された

日達上人は「今日では『国立戒壇』という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるために名称不使用と決定した」と御説明

明治時代には「国立戒壇」という名称が一般的には理解しやすかったので、そういう名称を使用したにすぎません。明治より前には、そういう名称はなかったのであります。今日では「国立戒壇」という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるため、今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします

大日蓮昭和45年6月号

「明治時代には『国立戒壇』という名称が一般的には理解しやすかった」との意は

 明治時代の「国体思想」においては、国主である「天皇」が「国そのもの」と見なされていたため、「国立戒壇」の意味するところは国主である「天皇」帰依の「国主立戒壇」と同意でした。(民主主義が定着した現憲法下で生きる我々には「国体思想」はまったく理解でき得ない思想であると思います)
 「日本国体」が叫ばれた明治時代において、本宗の本門寺戒壇思想に影響を受けた他門流の田中智学が、はじめて「国立戒壇」なる語を使いはじめ、これが世情に合致して広く用いられるようになったため、本宗でもこの語を自然に「御遺命の事の戒壇」の〝代名詞〟として使用するようになりました。これは、まさに日蓮大聖人が、
予が法門は四悉壇を心に懸けて申すなれば、強ちに成仏の理に違はざれば、且く世間普通の義を用ゆべきか」(御書1222頁)
と仰せられる、明治時代の世相に合致した、弘教のために用いた〝世間普通の義〟であったのです。
 〝世間普通の義〟でもって、本宗においては、日亨上人、日昇上人、日淳上人、日達上人が「国立戒壇」という〝代名詞〟を使用なされています。

「『国立戒壇』という名称が世間の疑惑を招く」とはどのようなことか

 創価学会の言論出版問題以降、様々な分野から創価学会批判と同時に宗門に対して謂われなき中傷が加えられたことがありました。そのような中で、日達上人は、世間から誤解を招き布教の邪魔になることから「国立戒壇」という「御遺命の事の戒壇」の〝代名詞〟の名称不使用という宗門の決定を発表なされました。
 「宗門に対して謂われなき中傷」「世間からの誤解」というのは「広宣流布の暁に日蓮正宗を国教とし、国家権力でもって国立戒壇を建立すること」です。日蓮正宗は「国教にすること」、「国家権力でもって国立戒壇を建立すること」は目指していません。

「国立戒壇」の名称不使用でも宗門の究極の大願「御遺命の事の戒壇建立」は不変

 日達上人は昭和45年5月31日の寺族同心会大会において、「『国立戒壇』の名称不使用でも宗門の究極の大願『御遺命の事の戒壇建立』は不変」であることを、次のように御指南なされました。

国立戒壇という名前を使わなかったと言っても、決して三大秘法抄の戒壇の御文、或は一期弘法抄の戒壇の御文に少しもそれを否定したり謗ったり、或は不敬に渉る様なことは少しもないのでございます。勿論、三大秘法抄とか一期弘法抄に国立という名前は使っておりません。

大日蓮昭和45年7月号 

浅井昭衛は日蓮正宗の「国立戒壇」名称不使用を〝御遺命放棄〟と決め込んだ

「国立戒壇」の名称を使用することが「日蓮大聖人の御意」だとする浅井一派

 浅井昭衛の「国立戒壇論」は、「不相伝の要法寺系の法門と国柱会の田中智学の『国立戒壇論』に影響された、日蓮正宗の戒壇義とは〝異質〟の邪義」なのですが(当ブログ「「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」の〝奇異〟」「国立戒壇破折 その〝致命的欠陥〟」を参照してください)、その「国立戒壇」建立を「大聖人の御遺命守護」の〝旗印〟とした浅井一派は、「宗門の『国立戒壇』名称不使用」を「御遺命放棄」と今日にいたるまで悪宣伝しています。

ついに細井管長は池田に唆されて、付嘱を受けた貫首としては身命を賭しても守らねばならぬ国立戒壇の御遺命を、ここに放棄してしまったのである。

日蓮大聖人の仏法・改訂版(平成元年発行)

「国立戒壇」の名称を使用していない浅井指導は「御遺命違背」か

 浅井昭衛は、「御遺命の事の戒壇」の意義をすべて内包する「国立戒壇」という名称を使うことが日蓮大聖人の御意にかなう、と会員に指導していますが、浅井自身も「国立戒壇」という名称を使っていない指導もあります。浅井センセーは“御遺命違背”なのでしょうか。

日本国の王法、威光勢力を失って此に七百有余年、然しながら富士は千古より八葉の蓮華の優姿を以て事の戒旦建立を待ち受けている。     

富士17号 / 昭和39年12月号

本門戒旦はこの真剣な気持が、大聖人に帰依する真心が一国にみなぎった時始めて建てたれるのです。

冨士46号/昭和42年5月月号

妙信講の進軍の目的は唯一つ、大聖人様が七百年前に日興上人に御遺命された、本門戒壇建立ということだけであります。

冨士271号/昭和61年8月号

もちろん明治以前には「国立戒壇」という用語はなく、明治以前の歴代先師上人はいずれも三大秘法の仰せのままに“広宣流布の暁に勅宣・御教書を賜って立てる戒壇”等と仰せられて来たのであるから、今日「国立戒壇」という名称を使わないからといって、それを以って直ちに違背とはいえない

顕正新聞平成元年1月25日号/冨士平成元年3月号

日蓮大聖人は、本門戒壇を建立して日本および全世界を仏国と化し、全人類を現当二世に救済することを究極の大願とあそばされた。(289頁)

本門戒壇を建立こそ、本門戒壇の大御本尊の妙用により、日本を仏国とする唯一の秘術なのである。(293頁)

日蓮大聖人の仏法 : 基礎教学書(平成27年発行)

「国立戒壇」の名称不使用は「御遺命放棄」という浅井昭衛邪論は“幼稚なトリック”であることが証明された

 上記の浅井昭衛の「国立戒壇」を使用しない「御遺命の事の戒壇」の説明において、「『国立戒壇』の名称不使用は『御遺命放棄』」という浅井邪論は〝幼稚なトリック〟であることが明らかになりました。

「御遺命の事の戒壇」建立に関する一切の御判断は「御相伝」御所持の御法主上人の御指南による

 浅井昭衛自身も「『御遺命の事の戒壇』建立に関する一切の御判断は『御相伝』御所持の御法主上人の御指南による」とかつて次の通り正論を述べていました。顕正会員はこの浅井指導に従うべきです。

そもそも本門戒壇の建立は、総じては門下一同への御遺命とはいえ、別しては御法主上人一人への付属たること、「一期弘法付属書・日興跡条々事」に明白である。ゆえに時至って具体的建立の運びとなれば、時の御法主が相伝に基きこれを決定指示されることはいうまでもない

冨士250号/昭和63年8・9・10号
モバイルバージョンを終了