清流への誘い

日布上人の大幅の形木本尊は〝ニセ本尊〟

  1. 「日布上人の大幅の形木本尊」とは破門後33年の時を経て突如現れた〝奇怪な本尊〟
  2. 昭和60年の「全国地方会館建設計画」の説明では、会館に安置する「日布上人の大幅の形木本尊」の説明はなかった
  3. 平成19年の浅井発言の破折
    1. 各末寺が独自に住職の権限で「御形木本尊」を出していたのは「古来からのしきたり」ではない。近年に始まったこと
    2. 浅井は「各末寺において、それぞれ縁の深い貫首上人の御形木御本尊を授与していた」と説明しているが、妙縁寺と日布上人にどんな〝縁〟があったのか? 浅井はその〝縁〟を示せるのか
    3. 末寺で御形木御本尊を出されていた御住職は御法主上人に必ず御許可をいただいていた
    4. 宗門の公式見解「『日布上人の大幅の形木本尊』は妙縁寺から印刷、発行されていない」
    5. 「日布上人の大幅の形木本尊」とは、かつて妙光寺で出されていた「日布上人の御形木御本尊」を撮影、拡大コピーをした〝ニセ本尊〟であると宗門が断定
    6. 顕正会破折Q&Aの「『顕正新聞』に掲載された写真を見ても、本尊の本紙の横幅が20センチ以上あり、本来の御本尊を拡大コピーしたものであることが明らかです」について
    7. 浅井はかつて会員に対して御本尊の〝開眼〟の重要さを教えていたが、「大幅の日布上人の形木御本尊」は御法主上人の〝開眼〟をいついただいたのか
      1. 〝開眼〟の重要さを示す浅井指導
      2. 「大幅の日布上人の形木御本尊」は〝開眼〟なき「ニセ本尊」
    8. 「日布上人の大幅の形木本尊」の授受は妙縁寺で行われたのか?
    9. 浅井への「公開質問」浅井は(形木本尊下付を)「松本尊能化に特別にお願いした」ことを証明する「下付願」、受け取ったことを証明する「受け書」を示せるのか。示せないのならば、〝ニセ本尊〟作りは浅井の〝単独犯〟が確定する

「日布上人の大幅の形木本尊」とは破門後33年の時を経て突如現れた〝奇怪な本尊〟

() 浅井昭衛は昭和60年 (昭和60年2月23日・本部会議顕正新聞昭和60年3月15日号)の説明ではその存在さえ明らかにしていなかった地方会館に安置する「大幅の日布上人の形木本尊」とやらを、突如、平成19年(平成19年9月26日・9月度総幹部会 顕正新聞平成19年10月5日号)になって松本日仁に授与してもらったと言い出しました。

御形木御本尊の下附は、昭和29年までは宗門で統一することなく、各末寺において、それぞれ縁の深い貫首上人の御形木御本尊を授与していたのです。これが宗門のしきたりであった。その例を挙げれば、東京の末寺においては、品川の妙光寺が五十五世・日布上人の御形木本尊、池袋の法道院が五十六世・日応上人、同じく池袋の常在寺は五十七世・日正上人、そして白山の白蓮院では六十世・日開上人という具合で、それぞれの末寺で有縁の貫首上人の御形木御本尊を授与していた。これは末寺住職に託された権限であり、古来からのしきたりであったのです。ゆえに私は、将来の大規模な広宣流布の戦いに備えて、地方会館に安置し奉る大幅の日布上人の御形木御本尊と、自宅拠点に懸け奉るべき日寛上人の御形木御本尊を、松本尊能化にぜひ用意してくださるよう、敢えて願い出て、これを授与して頂いたのであります。    

平成19年9月26日・9月度総幹部会 顕正新聞平成19年10月5日号

 そもそも日蓮正宗において「御形木御本尊」とは、個人が信心決定するまでに貸与される御本尊であり(信心決定すれば「常住御本尊」がいただける)、会館、拠点に安置される御本尊ではありません。破門前の学会の会館に安置された御本尊は御当代御書写の「〇〇会館安置」と認められた大幅の「常住御本尊」です。「大幅の御形木本尊」など安置された例はあり得ません。
 かつての浅井は、御形木御本尊の存在そのものが「不敬」に当たるとしていました。なぜ「不敬」となる御形木御本尊の授与願をしたのか理解に苦しみます。

そもそも大事の御本尊を印刷すること自体が不敬。

昭和54年11月1日・11月度班長会 顕正新聞昭和54年11月15日号

昭和60年の「全国地方会館建設計画」の説明では、会館に安置する「日布上人の大幅の形木本尊」の説明はなかった

 昭和60年2月23日本部会議上での浅井の話の中で、全国地方会館建設計画なるものが打ち出されていますが、現在各会館に安置されている「日布上人の大幅の形木本尊」を各地方会館に安置するとは言っていません。「日布上人の大幅の形木本尊」を松本日仁より授与されていたのなら、その事実をこの時点で会員に明かし、会館開設ごとに順次「日布上人の大幅の形木本尊」を安置すると言えたはずです。そのように言えなかったということは、「日布上人の大幅の形木本尊」なるものは松本日仁より託されておらず、昭和60年以降に浅井によって偽造されたことが明白です。

将来は各府県ごとに、高知会館のような地方会館を建設したい。これら地方の拠点には、すべて御本尊を奉掲ほうけい申し上げている。(中略)顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申しあげてきたものである。(中略)妙信講に解散処分が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった

昭和60年2月23日・本部会議 顕正新聞昭和60年3月15日号 

平成19年の浅井発言の破折

各末寺が独自に住職の権限で「御形木本尊」を出していたのは「古来からのしきたり」ではない。近年に始まったこと

「古来からのしきたりではなく、近年に始まった」ことは、過去の浅井発言が証明しています。

御型木御本尊という制度は、近年の信徒の状況にもとづいてされた「止むを得ぬ漸時の方便」であって、決して日蓮正宗の昔からの姿ではなかった。

昭和53年4月1日・4月度班長会 顕正新聞昭和53年4月15日

入信時に御本尊を貸与することが行われるようになったのは、宗門の歴代においても近年のことである。(中略)宗門上代においては、御形木御本尊という制度は全くなく、不惜身命の決定に至るまでは、遥拝勤行に徹するというのが、御在世の厳格なる風儀であった。

冨士271号(昭和61年8月号)

浅井は「各末寺において、それぞれ縁の深い貫首上人の御形木御本尊を授与していた」と説明しているが、妙縁寺と日布上人にどんな〝縁〟があったのか? 浅井はその〝縁〟を示せるのか

 妙縁寺は歴代住職の中から、「日元上人」「日宣上人」「日英上人」「日霑上人」の4人、所化からは碩学の「堀日亨上人」という、計5人が総本山の御法主上人となられたほどの名刹ですが、日布上人有縁とは聞きません。浅井は、妙縁寺と日布上人とはどのような〝縁〟であるのかを説明できるのでしょうか
 妙縁寺の出していた御形木御本尊は、昭和40年頃は日達上人の御形木御本尊です。それ以前は大日蓮社の「日寛上人の御形木御本尊」を下附していました。妙縁寺独自で「日布上人の御形木御本尊」を印刷、発行した事実はありません。

妙縁寺独自で御形木御本尊を印刷し、発行した事実はない

顕正会破折Q&A 95頁

 

末寺で御形木御本尊を出されていた御住職は御法主上人に必ず御許可をいただいていた

 その事実は、次の日顕上人のお言葉でわかります。

 以前に法道院より各末寺が送付を受けた御形木御本尊について(学会が)「開眼がない」と推測しているのですけれども、当時の法道院主管の早瀬道応師、のちの日慈上人は、総本山の法主の許可によって、当時の形においてお取り次ぎをしていたのです。故に総本山の正しい化儀に、なんら反していないのであります。

日顕上人  創価学会の偽造本尊義を破す

 昭和29年当時において、御本尊に関する一切の権能は御法主上人ただ御一人であった証拠があります。昭和29年当時、宗内で御守本尊と称して「日蓮大聖人御真筆」と脚注した弘安4年3月の御本尊を写真版にしたものを配布されている事実が判明しました。宗務院は院達(昭和29年4月16日付)で「御法主上人の御允可がないため本宗の本尊とは取り扱わない。その本尊を所持するものは最寄りの末寺へ納入するように」(趣意)と回収命令を出されています。

宗門の公式見解「『日布上人の大幅の形木本尊』は妙縁寺から印刷、発行されていない」

 顕正会Q&A(宗門の公式書籍)において「日布上人の大幅の形木本尊」が〝ニセ本尊〟であることを断定しています。

顕正会は「松本日仁師から託された」と称して、ニセ本尊を発行していますが、かつて妙縁で御形木御本尊を印刷し、発行した事実はありません。

顕正会Q&A(96頁)

「日布上人の大幅の形木本尊」とは、かつて妙光寺で出されていた「日布上人の御形木御本尊」を撮影、拡大コピーをした〝ニセ本尊〟であると宗門が断定

 「日布上人の御形木御本尊」は、かつて妙光寺で出されていました。妙光寺の開基が日布上人という〝縁〟からです。当然、御法主上人の御許可を得、開眼をいただいた正当な御本尊でした。浅井甚兵衛、昭衛は妙光寺信徒であった時期があり、正当な「日布上人の御形木御本尊」を入手する機会はいくらでもあったはずです。 顕正会Q&A(宗門の公式書籍)にも示されているように、「日布上人の大幅の形木本尊」とは、妙光寺で出されていた「日布上人の御形木御本尊」を撮影、拡大コピーした〝ニセ本尊〟です

現在、顕正会が多くの地方会館に安置している日布上人の形木本尊の日付が「大正5年12月大安日」であることから、その元は、妙光寺に所蔵されていた御形木本尊で、時の御法主上人の許可を得て、かつて妙光寺より下付されていたことがわかります。この御本尊の大きさは、およそ縦20センチ・横13センチであり、大幅の本尊などではありません。ところが、顕正会の会館に安置している本尊は、「顕正新聞」に掲載された写真を見ても、本尊の本紙の横幅が20センチ以上あり、本来の御本尊を拡大コピーしたものであることが明らかです。 したがって、顕正会の会館に安置される日布上人の形木本尊と称するものは、時の御法主上人の許可もなく、勝手にコピーされたニセ本尊であることは間違いありません。

顕正会破折Q&A(93-94頁)

 日布上人の形木本尊の日付が「大正5年12月大安日」であり、「日布上人の大幅の形木本尊」の日付が同様に「大正5年12月大安日」であることは、浅井が平成6年11月23日横浜会館開館式で証言しています

この三階の礼拝室にお出ましの御本尊様は、あの行体堅固の徳高き、総本山第五十五世・日布上人が大正2年9月,79歳の時に書写あそばされた御真筆御本尊であります。また二階の第一集会室、第二集会室に安置し奉った御本尊様は、同じく日布上人が大正5年12月,82歳の時御書写の御形木御本尊であります。いずれの御本尊も、解散処分を受けたとき、当時妙信講の指導教師であり妙縁寺の住職であられた松本日仁尊能化が、『将来の顕正会の広宣流布の戦いのために』と、私に託して下さった大事の御本尊であります。

平成6年11月23日横浜会館開館式 顕正新聞平成6年12月15-25日号

 この日の浅井発言では、横浜会館二階の第一集会室、第二集会室安置の「日布上人の形木本尊」のサイズが不明ですが、礼拝室のような多人数を収容する部屋ではないため「大幅」ではないと推察します。

顕正会破折Q&Aの「『顕正新聞』に掲載された写真を見ても、本尊の本紙の横幅が20センチ以上あり、本来の御本尊を拡大コピーしたものであることが明らかです」について

 「顕正新聞」に掲載された写真を確認しなくとも、浅井自身が地方会館安置の日布上人の形木本尊は〝大幅〟といっている(上記平成19年9月26日・9月度総幹部会)のですから、個人宅安置の形木本尊とはサイズが違うのは明らかです。
 「顕正新聞に掲載された写真」というのは、顕正新聞・平成27年11月15日号二面に掲載された「日布上人の大幅の形木本尊」とやらの本紙部分の写真のことで、この写真によりこの本尊が〝大幅〟であることがわかります。
 浅井の後方左右に供えられた一升瓶は、日本工業規格(JIS)において、その高さは、395±1,9mm、すなわち約40cmと定められています。供えられている一升瓶のサイズと比較した「日布上人の大幅の形木本尊」の横の本紙サイズは35~36cmとなり、かつて妙光寺で出されていた「日布上人の大幅の形木御本尊」の横の本紙サイズは13cmであることから、〝大幅〟であることがわかります。

浅井はかつて会員に対して御本尊の〝開眼〟の重要さを教えていたが、「大幅の日布上人の形木御本尊」は御法主上人の〝開眼〟をいついただいたのか

〝開眼〟の重要さを示す浅井指導

 「御本尊の開眼供養の重要さ」は冨士271号(昭和61年8月号)79頁に掲載されています。

御本尊七箇之相承にも聞えるごとく、御本尊を書写・活眼遊ばすお立場は、正しく「代々の聖人ことごとく日蓮」であらせられる。なればこそ嫡々代々の御本尊に御利益があられるのである。 

冨士271号(昭和61年8月号)79頁 

「活眼」と「開眼」は同意です。

「大幅の日布上人の形木御本尊」は〝開眼〟なき「ニセ本尊」

前述のQ&A(宗門の公式書籍)において「日布上人の大幅の形木本尊」が妙縁寺で発行されたものではない〝奇怪な本尊〟ですので、松本日仁が御法主上人に〝開眼〟していただくことを取り次ぐこともあり得ません。「「大幅の日布上人の形木御本尊」が〝ニセ本尊〟であることが確定します

「日布上人の大幅の形木本尊」の授受は妙縁寺で行われたのか?

 大幅の日布上人の御形木御本尊の受け取りは、顕正会破門後、松本日仁が妙縁寺に在住していた際に行われたことになりますが、浅井は「破門後は妙縁寺に立ち入ることはできなかった」と発言しています。松本日仁からの妙縁寺での受け取りはできなかったのではないでしょうか。浅井が破門後妙縁寺に立ち入ることができなかったと証言したのは、次の資料です。

この解散処分は、信徒団体にとってはまさに死罪に等しいものです。そうでしょ。その処分内容はどういうものかというと――本山登山は禁止する。御本尊の下附はしない。葬儀に僧侶を派遣しない。妙信講が所属する末寺妙縁寺には出入を禁ずる――というものであった。これで命脈を保てる信徒団体はあり得ない。

平成3年11月26日・11月度総幹部会 顕正新聞平成3年12月5日号 

    

浅井への「公開質問」浅井は(形木本尊下付を)「松本尊能化に特別にお願いした」ことを証明する「下付願」、受け取ったことを証明する「受け書」を示せるのか。示せないのならば、〝ニセ本尊〟作りは浅井の〝単独犯〟が確定する

 これは浅井への直接的な問いかけです。
 〝ニセ本尊〟の「下付願」「受け書」の画像を顕正新聞に掲載せよ。それが偽造ではない、正真正銘のものと判断されれば、〝ニセ本尊〟作りに松本日仁が加担したことに納得するだろう。それができないのであれば、〝ニセ本尊〟作りは、浅井自身の〝単独犯〟であることが確定する。

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