清流への誘い

浅井昭衛が外れ続ける「予言」をする〝理由〟

学会から〝ほら吹き昭衛〟と揶揄される浅井昭衛

 浅井が昭和40年代から今日に至るまで,「他国侵逼」「大地震」「経済危機」「疫病の流行」などの「予言」をし続けていますが、ことごとく外れていることは、当ブログのコンテンツ「3・11東日本大地震を予言できなかった浅井昭衛」で述べさせていただきました。「予言」を外し続けているため、学会からは〝ほら吹き昭衛〟と揶揄されていますが、当の本人の浅井は懲りることもなく、新たな「予言」を放出し続けています。

浅井昭衛はなぜ外れ続ける「予言」をするのか!?

「予言」は新興宗教が拡大していく際に〝覚醒剤〟のごとき有効性のある手法であるため

 新興宗教の多くの教祖、古くは「天理教」・中山みき、金光教・赤沢文治、大本の・出口なお、霊派の光教会の波瀬善雄、最近ではオウム真理教の浅原彰晃、幸福の科学・大川隆法などは、〝降霊〟による〝お告げ〟を行っています。教祖の〝お告げ〟は、絶対神に代わって未来の出来事を語る〝ご神託〟とされ、先々のことに不安を抱く者たちの中にはその「予言」を命深く刻んでいく者も現れ、「予言」は教祖の狙い通りの布教の最有力手段となっています。教祖の「予言」を疑うことなく深く信じていってしまう信者にとっては、教祖の「予言」は、いわば〝覚醒剤〟のような有効性があります。
 

「予言」は教祖の存在を自己主張するためでもある

 伝統宗教においては、仏教における貫主(日蓮正宗においては御法主上人)、キリスト教における法王のような権威保持者から後継者としての〝指名〟を受けることで、その宗教においての「最高の地位」が確定します。
 しかし、新宗教の教祖は、〝権威〟からの承継という〝お墨付き〟がない〝ぽっと出〟であるために、自己の存在を絶対化するためには、神との「交信」ができ、神からの「ご神託」を告げられるという、いわゆる「神がかり」という特殊能力が不可欠となります。

「予言」が外れても教祖は〝無責任〟でいられる

教祖は神に借用される〝媒体〟という論理

 教祖の「予言」が外れたとしても、教祖は自身の体は〝媒体〟として神に借用させただけであり、「お告げ」は神の言葉であり、教祖自身が発したものではない、という〝逃げ〟の手が取れます。

その典型的な例が大川隆法の「霊言現象」

その典型的な例が大川隆法です。「降霊」により霊の言葉を「霊言」として語り下ろす、いわゆる「霊言現象」を布教のため、というより、著作の売り上げ拡大のために、巧みに利用しています。公式サイトによると大川隆法に呼び出せない霊は存在しないとのことです。天照大神、イエス・キリスト、孔子、坂本龍馬などの古今東西の著名人等多岐にわたっています。日蓮大聖人も何度か「降霊」したとしていますが、たいへん恐れ多いことです。ただこの「霊言現象」を〝冷めた目〟で見る多くの者には〝イタコ芸〟と揶揄されています。〝イタコ芸〟と揶揄されている例を具体的にいうと、

 大川隆法の〝イタコ芸〟は三流芸人以下の〝ダサい〟演出であることは明らかです。

浅井の「予言」も無責任な「霊言現象」に過ぎない

大川隆法の「霊言現象」は〝こども銀行券〟、浅井昭衛の「霊言現象」は精巧に偽造された〝ニセ札〟

 大川隆法の〝イタコ芸〟は、多くの識別のある者には、三流芸人以下のダサい演出、著作を売りまくるための手段と見抜かれてしまいます。一万円札の偽造でいうならば、〝ことも銀行券〟程度の〝幼稚〟なものです。
 一方、浅井昭衛の「予言」は、一万円札を精巧に偽造した〝ニセ札〟と譬えることができます。

浅井の「予言」は日蓮大聖人の〝代弁〟であるかのように装っている

もし大聖人ここにましませば、何を命じ給うか」と。この御命令を信心の耳で聞き奉り、御奉公を貫いて来た。これが顕正会の行動原理です。

顕正新聞・平成25年8月15日号

 上記の浅井発言が、連発する「予言」が外れ続けても、浅井が全く〝平気〟でいられる理由です。浅井は、宗門において御遺命放棄した御法主上人にかわり、ただ一人御遺命を守護する立場で、大聖人の御命令を信心の耳で聞くことができる。浅井は大聖人の〝代弁者〟であると述べています。端的にいうと、浅井の発する「予言」は大聖人が発せられたもので、「私が言ったのではない、大聖人様が仰せなのだ」と、浅井自身は大聖人の〝媒体〟に過ぎないから、浅井の発する「予言」が外れたとしても浅井自身の責任ではないという論理を構築しています。

浅井の「予言」が外れても顕正会員が〝平気〟な理由

顕正会内部では、浅井は〝絶対視〟されており、外れる「予言」の理由など誰にも聞けない

 浅井は「予言」が外れても一切その理由を説明しません。顕正会内部では、浅井は〝絶対視〟されており、浅井の発言に疑問を持つことは「信仰心」がない証と決めつけられるために、一般会員は外れる「予言」の理由を周辺の先輩幹部の誰にも質問することは一切できません。
 

外れ続ける「予言」が〝イタコ芸〟であると見抜いた会員は静かに顕正会を去っていく

 外れ続ける浅井の「予言」に疑問をもつことは「信心が足りない」「浅井センセーに対して忠誠心がない」と、一方的にされてしまうことに嫌気がさした会員は静かに会を去っていきます。どれほど多くの浅井を信じた者が脱会していったことでしょうか。

外れ続ける「予言」の理由を肯定的に解釈する妄信者

 外れ続ける浅井の「予言」に対して、狂信者、妄信者は、暗に次のように肯定的に解釈しているのではないでしょうか。
 「浅井の『予言』は浅井自身の発言ではなく、日蓮大聖人が浅井を媒体として御教示されたもので、本来その『予言』は実現して当然のことであったが、日蓮大聖人は一国広布、国立戒壇建立を願って布教する顕正会員の姿を鑑みられて御慈悲で大災害が起こるのを防がれた」

外れ続ける浅井の「予言」に対する日蓮大聖人の御教示

 日蓮大聖人は次のように御教示されておられます。

此の経は相伝に有らざれば知り難し。

一代聖教大意

代代の聖人(ことごと)く日蓮なり。

御本尊七箇之相承

 日蓮大聖人は御入滅にあたり、大聖人の仏法の一切、大御本尊を日興上人に唯授一人の血脈相承で御付属され、日興上人は日目上人、日目上人は日道上人へと、途切れることなく、代々の御法主上人に御付属されてきており、末法万年、そのことはかわりません。御当代が御所持の日蓮大聖人の「御内証」によりその時代相にあった御指南をなされます。
 浅井の主張する「日達上人は御遺命を曲げた」「日達上人から日顕上人に御相承されていない」「浅井だけが日蓮大聖人の御声をお聞きすることができ、日蓮大聖人の御声を『予言』として伝えることができる」というのは、浅井が教祖として存立するための「自作自演」の〝狂言〟にしかすぎません。

(たと)()()()の弁を得て目蓮の(つう)を現ずとも、(かんが)ふる所当たらずんば誰か之を信ぜん。

 顕立正意抄

 富楼那は釈尊十大弟子の一人で「説法第一」と言われた方、目蓮は同じく「神通第一」と言われた方。日蓮大聖人は「富楼那のような優れた弁舌で、目蓮と同様の神通力で未来を予測したところで、その予言が外れたとしたら、誰が信じようか(誰も信じない)」と仰せになっておられます。まさに「富楼那の弁を得て目蓮の通を現ず」というのは、新興宗教・顕正会の教祖である浅井昭衛のことです。

顕正会員は、〝富士の清流〟である日蓮正宗に一日でも早く帰依を

 浅井の外れ続ける「予言」の〝種明かし〟をしてきました。現在、浅井が唯一の仏法の正師と信じこんでいる真面目な顕正会員の方々に、浅井の「予言」は、日蓮大聖人の御声ではなく、浅井自身が教祖として存立し、組織を拡大するために用いている「いかさま」であることを知っていただき、真の正しい日蓮大聖人の仏法である日蓮正宗に帰依していただきたいと願います。当ブログの「お問い合わせ」よりメールをいただきましたら、お住まい近くの日蓮正宗寺院をそ紹介させていただきます。

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