浅井昭衛が死去

浅井昭衛は、令和5年10月16日未明死去

顕正新聞・令和5年10月25号一面にて浅井昭衛の急死を公表

顕正新聞・令和5年10月25号一面よりの引用

浅井城衛が浅井昭衛の死去を発表

 令和5年10月16日20時より急遽行われた臨時幹部会において、次のように浅井城衛が浅井昭衛の死去を発表しました。10月16日未明に死去したとのことです。
 

 本年9月の総幹部会の翌々日に、俄に体調を崩され、それより二週間ほど治療・静養しておられましたが、本日、臨終を迎えられました。

顕正新聞・令和年10月25日号二面

死去した場所は自宅か、病院か、死因はなど、具体的なことは明らかにされませんでした。

浅井昭衛に「残された時間は少なかった」、300万未達で急死を遂げた

 顕正会の「基礎教学書『日蓮大聖人の仏法』広告文」の末文には「残された時間は少ない」とあります。まさしく、浅井昭衛に残された時間は少なかったといえます。この「広告文」の末文「残された時間は少ない」は、300万未達で急死を遂げることになる浅井昭衛の〝嘆き〟の声のようにも思えます。

浅井センセーの最後の登壇は令和5年9月度総幹部会となった

 上記の画像は「冨士顕正会公式サイト」の「顕正新聞特集号」の「2023年10月5日号」の「テキスト版」からの引用。浅井昭衛の顔色は血色が悪く、クチビルは紫色。御遺命守護の大功労者の顔色とは言えないように思えます。
 浅井昭衛は、この日の講演で「まことに、きょうの総幹部会も素晴らしいですね。最初から最後まで、一人ひとりの登壇に私は大感動いたしました」と〝日顕上人の悪臨終〟を喧伝した副教学部長の浅野恭裕の活動報告を讃嘆しています。最後の最後に〝日顕上人の悪臨終〟という根拠のない誹謗をするとは、稀代の大謗法者らしい行為といえます。
 同日の講演の最後に
「このような時に生まれ合わせたのは、お互いに何たる宿縁か。早く三百万を成し遂げ、大聖人様の御馬前に馳せ参じたい」
と述べていますが、念願の「三百万達成」の日を迎えることなく、無間地獄に赴くこととなったのは、大謗法者としての当然の帰結としか、言いようがありません。
 日蓮大聖人が

一切は現証には如かず

教行証御書

と御教示されておられるように、浅井昭衛の「三百万未達」の“突然死”は、大謗法者としての当然の“現証”です。

令和5年10月13日の御大会式(本部会館)には浅井昭衛は欠席

 顕正新聞・令和5年10月25日号によると、令和5年10月13日の御大会式(本部会館)において「浅井先生の名代として浅井城衛理事長が唱導を勤められた」と記述されていますが、浅井昭衛の欠席理由は触れられていません。勤行の後、昨年の御大会式における浅井昭衛の講演ビデオを流したとのこと。浅井昭衛抜きでは顕正会の会合は満足に運営できないということを物語っています。

10月20日通夜、21日本葬・同日荼毘に付された

 10月20日通夜、21日本葬・同日荼毘に付された、という確実な情報が入ってきました。葬儀参加は、顕正会幹部の隊長、区長、支区部長以上であったそうです。密葬に近い状態で、一般会員に広く浅井の死に顔を見せたくないという“事情”があったことと推察します。
 一般会員は10月28日~30日、本部会館において焼香を行ったとのことです。

なぜ一般会員に浅井昭衛の〝成仏の相〟を拝ませなかったのか!?

 浅井城衛は、令和5年10月16日の臨時幹部会で浅井昭衛が臨終を迎えたことを明らかにしましたが、浅井昭衛の臨終の相は「何より有難かったことは、浅井先生の、まことに素晴らしい臨終の相でした」と述べています。その「成仏の妙相」が〝真実〟ならば、浅井センセーを信奉してきた一般会員にも拝ませることができたのではないでしょうか。一般会員に拝ませることができなかったのは、浅井昭衛の死相は悪臨終の相であったからではないでしょうか。
 浅井昭衛の死相似ついては当ブログ「浅井昭衛の死相は“悪臨終の相”であった」で詳細に説明させていただいでいます。ご覧ください。

日顕上人の御遷化の御尊顔を誹謗したことが浅井昭衛の〝突然死〟につながった

令和5年5月度総幹部会における日顕上人への誹謗

 浅井昭衛は令和5年5月度総幹部会(5月21日)で,次のように根拠なき日顕上人の御遷化の御尊顔誹謗をしました。

(顕正会・浅沼副長が折伏した)その壮年はなんと
「『友人の宗門僧侶から聞いた』として、阿部日顕の臨終の相について、衝撃的な内容を語り出した」という。
壮年の云く
その相は、色黒く、恐ろしい形相で、部屋中に悪臭が漂っていた。本来、宗門では『死に化粧』はしないものだが、あまり色が黒かったので死に化粧をするしかなかった。しかし何度塗っても白くならず、最後に厚塗りをして、何とか白くした」と。
 私は阿部日顕の臨終の相については、これまで詳しく聞いたことがなかったが、これを聞いて驚くとともに「さもありなん」との思いが湧いた

顕正新聞・令和5年6月5日号

 浅井昭衛が根拠なき日顕上人の御遷化の御尊顔誹謗をし始めたのは、日蓮正宗僧俗から主に「ニセ本尊」をはじめ浅井の邪論をあらゆる論点から破折される一方なので、宗門攻撃の〝一点突破〟を狙ったためではないかとみています。
 

御法主上人誹謗は大謗法

 この根拠なき日顕上人の御遷化の御尊顔誹謗は大謗法です。日蓮大聖人は次のように御教示されておられます。

凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。

真言見聞

「我が弟子等の中にも、信心薄淡き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし」は浅井昭衛の死に顔のことではないか!?

 浅井昭衛は令和5年5月度総幹部会(5月21日)のおいて、謗法の者どもに臨終時の〝悪相〟について説明していますが、この謗法の者どもとは浅井昭衛自身を指すことは生前の「ニセ本尊」の発行、僧侶なき葬儀、田中智学に影響された「国立戒壇論」などの大謗法の所業で疑いのないことではないでしょうか。

 大聖人様は教行証御書において、真言の悪僧どもの臨終について次のごとく仰せ下されている。
「一切は現証には如かず。善無畏・一行が横難・横死、弘法・慈覚が死去の有り様、実に正法の行者是くの如くに有るべく候や」と。
 また神国王御書には中国真言宗・元祖の善無畏三蔵の臨終の悪相について
「死する時は黒皮隠々として骨甚だ露わると申して、無間地獄の前相其の死骨に顕わし給いぬ。人死して後 色の黒きは地獄に堕つとは、一代聖教に定むる所なり」
とお示し下されている。(中略)
その臨終の相が、初めてきょう明らかになったのです。
顕立正意抄の
我が弟子等の中にも、信心薄淡き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし
との厳たる仰せを、まさに眼前にした思いであります。

顕正新聞・令和5年6月5日号

日顕上人への誹謗がなければあと数年生き長らえた?

 晩年の浅井昭衛の広布の目標は「300万達成」でした。数年後の「300万達成」(死者・脱会者も含めた累計)をして、記念大会において浅井城衛に会長の座を譲り、「300万達成」の功労者として名誉会長に退くという〝花道〟を頭の中で描いていたのかもしれません。

顕正会側の法論“完敗”が浅井昭衛の死を早めた

 浅井昭衛の謗法にとどめを刺す出来事が起きました。
 10月7日、顕正会教学部長の坪田敏、副教学部長の伊東信昭が、理境坊在勤・小川正豪御尊師との法論対決に臨んだものの、完敗してしまったのです。
 すなわち、小川御尊師が
「日達上人・日顯上人の御臨終を誹謗した根拠となる証人・証拠を示せ。また顕正会の大幅形木本尊が真正なものであるとの証明をせよ」と求めたのに対し、坪田は「その場できちんと対応いたします」と約束していたにも拘わらず、その場になって「そんなテーマは合意していない」「自分はテーマについては承認していない」等と逃げ回り、結局、小川御尊師の追及に対して何の証拠も証人も出せずじまいで終わってしまったのです。
 これによって、これまで浅井昭衛が盛んに喧伝させてきた〝日達上人・日顯上人の悪臨終〟との誹謗は、真正な証人など誰一人としていない、完全なる虚構であったこと。また、顕正会のニセ本尊疑惑についても、何一つ反証が出せないことが、白日の下に晒されました。このことは、すなわち、「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」との日蓮大聖人の仰せの、浅井顕正会の許されざる大謗法が確定した、ということに他なりません。大謗法確定が浅井昭衛にとどめを刺し、“急死”につながったものと推察します。

顕正会側の法論“完敗”は、カットなし3時間にも及ぶビデオ撮影がなされているため、反論の余地なし

 顕正会教学部長の坪田敏、副教学部長の伊東信昭は、小川御尊師との法論完敗を隠蔽・糊塗するために、総幹部会などの活動報告で、逆に「法論勝利」と喧伝してくることは十二分に予想されます。しかし、この法論の一部始終は3時間にわたりカットなしビデオ撮影がなされているため、坪田、伊東の事実を隠蔽・糊塗した活動報告は虚偽であることが明々白々になります。


 

顕正会儀礼室による葬儀は〝堕地獄〟必定

 日蓮大聖人は次の御文の通り、「よき師」「よき檀那」「よき法」がそろわないと祈り(成仏)がかなわないと御教示なされています。

よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し、国土の大難をも払ふべき者なり。

法華初心成仏抄

よき法」とは〝本門戒壇の大御本尊〟。本門戒壇の大御本尊にお目通りが許される信心。顕正会の〝遙拝勤行〟とかでは、「よき法」を信奉しているとはいえません
よき師」とは〝血脈付法の御法主上人猊下〟に信伏随順する信心。日頃は指導教師であられる末寺御住職に指導を仰ぐ信心。
よき檀那」とは〝日蓮正宗信徒であること〟。顕正会員が「よき檀那」である資格などあるわけがありません。
よき法」「よき師」「よき檀那」が具足するのは、日蓮正宗の信心のみです

 浅井昭衛の葬儀は、日蓮正宗の御僧侶不在の、浅井城衛の導師による、〝ニセ形木導師曼荼羅〟に手をあわす、堕地獄必定です。浅井自身が決めた葬儀方法ですから、〝自業自得〟としかいいようがありません。
 戒名もない、塔婆での追善供養もできない。顕正会員の皆さん、教祖の死をきっかけに、顕正会というのは、創価学会と〝瓜二つ〟の〝似非〟であることに気がつく時です。

 

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