浅井昭衛への公開質問

法論

浅井昭衛の「教学部」新設の意図

 顕正会の平成31年2月度総幹部会で浅井は、「広宣流布の最終段階に現れる『三類の強敵』を粉砕するために『教学部』を新設する」という趣旨の講演をしました。そして、その「教学部」の役割と一つが「正義の法論を担当すること」としています。しかし、「正義の法論」とは名前ばかりであることが、「慧妙・平成31年4月1日号一面」の「広説寺法華講副講頭・中田紀一氏のレポート」により、明らかにされました。そのレポートから抜粋します。

(日達上人の)御指南を二時間繰り返し読み上げるだけ。(中略)物事の一面だけを切り取って難癖をつけ、自己正当化しているだけ」「とにかく一点突破で誹謗して〝戦果〟にしたいだけ」「法論とは程遠い悪態ぶり」「御住職が出しておいた『宿題』にはゼロ回答(つまり回答不能)」

教学部に任命された者たちにとっては、顕正会版の御書もなく、今まで顕正会の過去の出版物やインターネットの顕正会破折サイトの閲覧が禁止されてきたため、日蓮正宗僧俗から顕正会教学の過ち、浅井会長の自語相違を指摘されても反論不能なのです。その回答を上の幹部に求めると「不信の輩」と決めつけられてしまうので問題解決せず〝塩漬け〟となります。
浅井会長には、「教学部」を設け、「教学部員」を任命する責任者として、日蓮正宗僧俗から受けた質問で、回答不能のままであるものに対して公式見解を出し、回答マニュアルを作成する義務があると感じます。

浅井会長への公開質問

かつて日顕上人に「対決」を迫ったほどの教学力を所持している浅井会長ですから、以下に掲げた一介の法華講員に過ぎない私の質問など「一丈の堀」を超えるほど、容易いことなどではないでしょうか。なお、日蓮正宗僧俗に対して、明快に納得させる回答を示さなければ、回答不能と判断されてもいたしかたないことです。

1:昭和60年2月の教学部大会において、顕正会版御書全集(A五版、全3巻)の発刊構想を発表、その後編集委員も選任していますが、30数年経った今なお、一巻も発刊されていません。法論には御書全集が必携です。進捗状況、発刊予定を明示してください。

2:かつての顕正会の〝旗印〟は御遺命守護でした。会長は御遺命守護完結の暁には「顕正寺」を御法主上人に御供養することを会員に公言していました。会長は、平成10年4月10日に御遺命守護完結奉告式を行いましたが、「顕正寺」は立て直した際に会員に何の説明もないまま、「典礼院」に化け、御遺命守護完結の暁の約束が反古にされました。道義的に説明してください。

3:「妙信講解散処分後、松本日仁元より浅井に渡された大幅の御本尊は常住御本尊(歴代上人御直筆)7幅のみ」と自己申告していた (顕正新聞・昭和60年 3月15日号) が、平成10年以降、会館が立つ度に「日布上人の大幅の御形木本尊」が安置されるようになりました。破門前になかったものが、破門後に多数出現しています。この「日布上人の大幅の御形木本尊」なるものが実際に松本日仁より託されたものなのか。「日布上人の大幅の御形木本尊」の〝授与願い〟〝受書〟を顕正新聞に公開することで明らかにしてください。

4:会長は「御本尊七箇之相承にも聞えるごとく、御本尊を書写・活眼遊ばすお立場は、正しく『代々の聖人(ことごと)く日蓮』であらせられる。なればこそ嫡々代々の御本尊に御利益があられるのである」(冨士271号)と指導していますが、「日布上人の大幅の御形木本尊」はどの御法主上人から開眼していただいたのかを明示してください。開眼なき本尊はニセ本尊と認定されます。

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