「浅井昭衛を捕獲せり!!」の衝撃

法論

理境坊所属妙観講、顕正会会長 浅井昭衛との法論に決着を宣言!

 詳細はサイト「顕正会からの脱出」の「理境坊所属妙観講、顕正会会長 浅井昭衛との法論に決着を宣言!」をご覧ください。

自ら妙観講に仕掛けた法論で反論不能となったままの浅井

 上記の記事には、浅井が昭和63年に妙観講に仕掛けてきた法論に大草講頭が受けて立ち、大草講頭が「破折」、浅井が「反論」、大草講頭が「再破折」で、浅井が「反論不能」になった事実を詳しく紹介されています。
 浅井と大草講頭の正式法論は、浅井の反論不能で中断したままだったのですが、ついにその法論が浅井の敗北により完全決着することとなったのです。

逃げ込むことしかできない浅井

 上記の「理境坊所属妙観講、顕正会会長 浅井昭衛との法論に決着を宣言!」には、令和4年9月26日に妙観講員が浅井昭衛の自宅前で捕獲することに成功し、その時のやり取りが紹介されています。

佐々木 浅井センセーじゃないですか!
浅井 何、何?
佐々木 妙観講の佐々木です、先日、お手紙を送りました。
浅井 あ、はぁ、はぁ、はぁ。
佐々木 大草講頭との法論!
浅井 はい、はい、はい。
佐々木 講頭はね、快諾(かいだく)されているんですけど
浅井 はい。
佐々木 浅井センセーは
浅井 はい。
佐々木 法論、立たれないんですか?
浅井 何?
佐々木 法論! 大草講頭との法論ですよ!
浅井 いやいや、もう
佐々木 もう三十年前から、逃げてばっかりいらっしゃるじゃないですか!
浅井 何を、何を言うか(と言って自宅に逃げ込む)
佐々木 逃げるんですか?一言どうぞ。
浅井 バカバカしいこと、言うでない(と言いながら戸を閉めてしまった)

引用先「理境坊所属妙観講、顕正会会長 浅井昭衛との法論に決着を宣言!」

法論は浅井の敗北で完全決着

 浅井の口からは、ついに、大草講頭との法論に立つという言葉も、またなぜ法論に立たないのか、という弁明も、一切聞かれることはなかったのです。事ここに至って、妙観講としては、もはや浅井が法論の土俵に戻ることはありえない、と判断し、長く中断していた大草講頭と浅井の法論は、浅井の敗北で完全決着した、と断定したものです。

浅井センセー、大草講頭との法論は教線拡大のチャンスですよ!!

 浅井センセーが大草講頭に挑まれた法論になぜ逃げるのでしょうか。浅井センセーが国立戒壇建立という日蓮大聖人の御遺命を守護する唯一無二の「大聖人より認められた存在」ならば、国立戒壇を放棄したとする日蓮正宗における最大講中の講頭との法論は教線拡大、広宣流布達成(むろん、顕正会にとっての広宣流布、という意味ですが)の絶好の機会なのではないでしょうか。大草講頭を完膚(かんぷ)なきまでに法論で打ち負かすことは顕正会員誰もが当然の帰結と信じて疑わないことでしょう。
 そして、大草講頭が法論に敗北すれば、妙観講員は「我も我も」と雪崩のごとく脱講し、顕正会に入会。その余波は日蓮正宗の他の講中にも及ぶことになるかもしれません。

浅井センセー、大草講頭との法論に挑みましょう

 しかし、それは、浅井センセーが大草講頭との法論を逃避しているかぎり、実現できないことです。一丈の堀を越えられなければ、十丈、二十丈の堀も越えられないからです。全顕正会員は声を高らかに、浅井センセーに法論を受けることを訴えましょう。浅井センセー自身も令和4年11月度の幹部会で「私は急いでいる」と言ってたのではないですか。

全顕正会員は、浅井センセーが法論に出るように訴えましょう

 全顕正会員は声を高らかに、浅井センセーに法論に出るよう訴えかけましょう。浅井センセー自身も、令和4年11月の総幹部会で「私は急いでいる」と言ってたではないですか。

 大聖人様は次のように仰せられています。

いくさには大将軍を魂とす。大将軍をくしぬれば歩兵つわもの臆病なり

乙御前御消息

 顕正会の大将軍である浅井センセーが大草講頭との法論から逃げまとう臆病者であっては、顕正会のいう「広宣流布」は〝絵に描いた餅〟で終わってしまいます。終わらせないためには、浅井センセーに法論に立ってもらうしかないのです。

浅井が沈黙のままなら、浅井センセーの敗北が完全に決定

 顕正会員の願いも叶わず、浅井が何の行動も起さず、「沈黙は金」とばかりに黙り込んでいたのでは、妙観講が宣言した、法論における浅井の敗北が完全に決定します。〝敗北〟の顕正会に籍を置くことは、〝敗北〟の人生を意味します。顕正会員さん、〝敗北〟の烙印、悔しくないですか。

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