顕正会員さん、「会館本尊」を撮影しませんか

ニセ本尊破折
  1. 顕正会員さん、本尊無き勤行に耐えられますか?
    1. 浅井昭衛宅には日開上人の常住板御本尊が安置されている
    2. 本尊という対象物があった方が勤行・唱題がしやすい
    3. 浅井センセーの手口を真似て、自らの〝利便性のために〟ルール(会則)を無視し、「会館本尊」を撮影、印刷する
    4. 浅井センセーは、自らの利便性のためにルール(宗門の規則)を無視し、妙光寺から出された「日布上人の形木御本尊」(宗門から認められた御本尊)を勝手に撮影、拡大印刷し、「日布上人の大幅の形木本尊」と称する〝ニセ本尊〟を各会館に安置、〝ニセ本尊〟作成は松本日仁に責任転嫁した
    5. 旧本部会館には礼拝室の本尊を映すモニターTVが存在していた
      1. 元本部職員の証言
    6. 「モニターTV本尊」が許されるのならば、「会館本尊」の撮影も許されるのが道理
    7. 浅井と一般会員とで、御本尊の取り扱いに差があるのか?!
  2. 本尊の「撮影」、「偽造」は大謗法行為
    1. 旧本部会館のモニターTV設置は、大謗法行為
    2. 「日布上人の大幅の形木本尊」「形木の導師曼荼羅」という〝ニセ本尊〟を作成した浅井は〝大謗法者〟
  3. 御本尊に関する一切の御権能は御法主上人にあり
    1. 日蓮大聖人の御教示
    2. 日亨上人の御指南
    3. 浅井もかつて「御本尊の一切の御権能は御法主上人にあり」と指導
  4. 宗教の〝正邪〟は本尊にあり
    1. 顕正会員は日淳上人の御指南に素直に従うべき
  5. 日蓮大聖人の「正系門流」たる日蓮正宗に帰依を

顕正会員さん、本尊無き勤行に耐えられますか?

浅井昭衛宅には日開上人の常住板御本尊が安置されている

 浅井は顕正会員に「遥拝勤行」と称する、総本山大石寺の方向への「本尊無き勤行」を「信心に距離は全く関係がない」「大聖人様を恋慕渇仰して『南無妙法蓮華経』と唱え奉れば、そのお題目は直ちに大聖人様に通じる」「忠誠の証、時に適った信心」と励行しています。
 顕正会員が「大御本尊と直結している」のならば、顕正会所持の本尊を拝することは「間接的」に大御本尊を拝することとなり、大御本尊と「直接的」に繋がっている「本尊無き勤行」の方が功徳が大きいことになるのではないでしょうか。本部会館の「日開上人の大幅の常住御本尊」も、各地方会館の「日布上人の大幅の形木本尊」という〝ニセ本尊〟(当ブログ「日布上人の大幅の形木本尊は〝ニセ本尊〟」を参照ください)も、中堅幹部に配布されている〝ニセ本尊〟疑惑が濃厚な「日寬上人の形木本尊」も一斉〝不要〟ということになります。大御本尊に直結する「本尊無き勤行」を励行している浅井自身が率先して「本尊無き勤行」を実行するべきです。浅井宅の「日開上人の常住板御本尊」を通じて大御本尊を拝するのは、大御本尊を「間接的」に拝することになり、大御本尊を「直接的」に拝するためには、総本山大石寺に「日開上人の板常住御本尊」を返納するべきです。

本尊という対象物があった方が勤行・唱題がしやすい

 浅井が「本尊無き勤行」を奨励する一方、各会館や中堅幹部宅に「本尊」が安置されているのは「本尊」という対象物があった方が勤行・唱題がしやすいからです。顕正会員さん、浅井センセーに「『日蓮大聖人眼前にまします』との信心に立つことです」と言われても、お目通りしたこともない「大御本尊」の御姿を思い浮かべて勤行・唱題をすることはできないですよね。目の前の壁に向かって漠然と勤行・唱題することは空しさが残るだけです。
 自宅で勤行・唱題する際にやり易くするいい方法があります。それは、会館の本尊をスマホで撮影して、その画像を印刷し、自宅の仏壇に張り付ければいいだけです。とても簡単で、費用もかかりません。
 

浅井センセーの手口を真似て、自らの〝利便性のために〟ルール(会則)を無視し、「会館本尊」を撮影、印刷する

 顕正会員さんは、「勝手に『会館本尊』を撮影するなんて会則で厳禁されている、もし撮影したことがばれたら除名になるので、そのようなことはできない」と思っていることでしょう。除名にならない方法があります。こっそり「会館本尊」を撮影、印刷し、自らの仏壇に張り付ければいいだけです。もし先輩の顕正会員に見つかったら、それは脱会した某先輩からもらったものであるとすればいいのです。
 「自らの利便性のためにルール(会則)を無視し、勝手に『会館本尊』を撮影、印刷、その行動は他人に責任転嫁する」という方法は、後ろめたいと思う方がほとんどでしょう。しかし、その手口は、〝無二の師匠〟である浅井センセーがすでに実行していることです。師匠が師匠なら、弟子も弟子。センセーに〝右に習え〟でいいのではないでしょうか。
 

浅井センセーは、自らの利便性のためにルール(宗門の規則)を無視し、妙光寺から出された「日布上人の形木御本尊」(宗門から認められた御本尊)を勝手に撮影、拡大印刷し、「日布上人の大幅の形木本尊」と称する〝ニセ本尊〟を各会館に安置、〝ニセ本尊〟作成は松本日仁に責任転嫁した

 詳細は当ブログ「日布上人の大幅の形木本尊は〝ニセ本尊」〟を参照願います。 日蓮正宗においては〝ニセ本尊〟作成という行為は重罪中の重罪です。しかし、浅井先生はいとも簡単にその行為を犯したのです。過去に浅井センセーが〝ニセ本尊〟作成が平気であることを証明する事実があります。

旧本部会館には礼拝室の本尊を映すモニターTVが存在していた

元本部職員の証言

 浅井が「本尊」をモニターTVで映していたことは、元顕正会本部職員で、現在は日蓮正宗信徒の渡辺雄二さんの証言で明らかです。

旧本部会館では、一階の廊下、階段踊り場にモニターTVがしつらえており、二階の礼拝室に上がりきれない会員は、モニターTVに御本尊をドアップに映して、それを礼拝させていたのである。

顕正会からの脱出 

「モニターTV本尊」が許されるのならば、「会館本尊」の撮影も許されるのが道理

 「モニターTV本尊」が会員の利便性のために顕正会で認められていたのですから、各会員の利便性のために、各会員が「会館本尊」をスマホで撮影、印刷し、自宅の仏壇に張り付けて、勤行、唱題の対象物とすることも許されるべきではないのでしょうか。

浅井と一般会員とで、御本尊の取り扱いに差があるのか?!

 顕正会員さん、センセーは、御遺命守護に立ち上がられた〝無二の師匠〟なので御本尊の取り扱いも〝特別に許可されている存在〟で、「モニターTV本尊」も、宗門とは関係のない「日布上人の大幅の形木本尊」「形木の導師曼荼羅」も、センセーの一存で「正当な本尊」となると思い込んでいませんか。一般会員は〝特別に許可された存在〟ではないので、勝手に「会館本尊」をスマホで撮影、印刷し、自宅の仏壇に張り付けて、勤行、唱題の対象物とすることも許されないと信じている会員の方々に、はっきりと、声を大にして申し上げたいと思います。
 浅井は御本尊の取り扱いに〝特別に許可された存在〟なのではありません。宗門より破門された一在家にすぎません。
 以上、顕正会員さんの〝利便性〟から「会館本尊」を撮影、印刷することを薦めてきましたが、正しい仏法の観点からは、御本尊(日蓮正宗の正当な御本尊)を撮影、印刷する行為はどのように判定されるかということを説明します。
 「会館の本尊」は〝ニセ本尊〟ですので、「会館の本尊」を撮影、印刷することは「鎌倉の大仏の記念写真」を撮り、印刷することのように仏法上の罪はありません。ただ「鎌倉の大仏の記念写真」を本尊として崇めたら謗法となるように、〝ニセ本尊〟の印刷物を信仰の対象と見なせば、その行為は仏法上の重罪となります。

本尊の「撮影」、「偽造」は大謗法行為

旧本部会館のモニターTV設置は、大謗法行為

 日蓮正宗においては、「御本尊」に関する一切の御権能は御法主上人が御所持されておられます。
 顕正会員がセンセーは〝特別な存在〟と思っていたとしても、日蓮大聖人、日興上人、日目上人、御歴代上人すべてが、浅井を〝特別な存在〟だと見なされません。

「日布上人の大幅の形木本尊」「形木の導師曼荼羅」という〝ニセ本尊〟を作成した浅井は〝大謗法者〟

 「御本尊」をモニターTVで映すことが平気な浅井です。ニセ本尊作りも同様に平気で作成したのです。

 

御本尊に関する一切の御権能は御法主上人にあり

 浅井は、会員に「御本尊の御権能は御法主上人御一人にある」ことを教えていないので、会員は浅井が〝ニセ本尊〟を独断で作成しても、その罪の深さがわからないのです。

日蓮大聖人の御教示

日蓮大聖人は次のように仰せられておられます。

此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承(ぼんじょう)唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし。   

本因妙抄

日亨上人の御指南

総本山第59世日亨上人は次のように御指南されておられます。

曼荼羅書写の大権は唯授一人金口相承の法主に在り。          

曼荼羅書写本尊授与の事は・宗門第一尊厳の化儀なり。    

有師化儀抄註解

 日蓮大聖人の御教示、日亨上人の御指南から、御本尊の御権能は御法主上人御一人にあることがよくわかると思います。

浅井もかつて「御本尊の一切の御権能は御法主上人にあり」と指導

 かつて浅井も御法主上人の御本尊に関する御権能を会員に教えていた指導もあります。

御本尊七箇之相承にも聞えるごとく、御本尊を書写・活眼遊ばすお立場は、正しく「代々の聖人(ことごと)く日蓮」であらせられる。なればこそ嫡々代々の御本尊に御利益があられるのである。 

冨士271号(昭和61年8月号) ・顕正会「試練と忍従」の歴史)

冨士大石寺門流においては、入信者の信行が進んで不退の金剛信が確認された時、日興上人以来嫡々付法の大石寺歴代上人が、この戒壇の大御本尊を書写して授与して下さる

 日向・日頂等(*不相伝の五老僧のこと)は御本尊の尊厳がわからなかったために、大聖人御直筆の御本尊を「形木に刻む」すなわち(はん)()におこして印刷し、それを信心もない(やから)に軽々しく授与していたのである。まことに不敬の至りである。                     

日蓮大聖人の仏法・改定版

 顕正会所持の「日布上人の大幅の形木本尊」「形木の導師曼荼羅」は御法主上人に〝開眼〟をいただいたのでしょうか。答えは「ノー」です。「日布上人の大幅の形木本尊」「形木の導師曼荼羅」は明らかな〝ニセ本尊〟です。

宗教の〝正邪〟は本尊にあり

顕正会員は日淳上人の御指南に素直に従うべき

 浅井センセーが、英邁な御法主上人と慕う第65世日淳上人の次の御指南に従うべきです。

宗教は本尊によって、成立するのである。よって宗教の邪正は本尊によって決定せられなければならない。而て此の本尊に於ては正確に邪正を断定できるのである。本尊が正しければその宗教は正しく、反対に正しくない本尊は迷信であり邪教である

冨士13号

 顕正会所持の「日布上人の大幅の形木本尊」「形木の導師曼荼羅」が〝ニセ本尊〟であることは既に述べました。〝ニセ本尊〟という「正しくない本尊は迷信であり邪教」です。顕正会は邪教です

日蓮大聖人の「正系門流」たる日蓮正宗に帰依を

 正しい御本尊を崇めている日蓮正宗に帰依することが日蓮大聖人の御心に叶った唯一の信心であり、一生成仏をいただける方法なのです。顕正会員さんの一日でも早い日蓮正宗への帰依を願っています。

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