凡人の知恵 浅井昭衛の〝神格化〟を推し進める浅井城衛
浅井城衛は「無二の師匠」は浅井昭衞のみ、自身は「ただの名代」と規定
令和5年10月16日に亡くなった顕正会会長・浅井昭衛の跡を継いだのは、周知のとおり、次男の浅井城衛。浅井城衛は、令和5年11月28日の総幹部会において次のように述べています。
私たちの「無二の師匠」はあくまで浅井昭衞先生ただお一人であり、それは先生が御逝去されても、いささかも変わりはありません。ゆえに「先生」との呼称は、浅井昭衞先生および初代講頭先生のみに使用し、私に使う必要は一切ありません。私は先生の名代として指揮を執らせて頂きます。
令和5年11月28日総幹部会
浅井城衛は〝凡人〟である自身の能力を鑑みて「先生の名代」と位置付けたのは賢明の策だったと思います。凡人なりの知恵なのでしょう。浅井城衛は会の運営において、日曜勤行での浅井昭衛の御書講義ビデオ放映、自身の講演の中で浅井昭衛の指導を引用して讃嘆するなどして、浅井昭衛のカリスマ性を最大限利用しています。
浅井城衛は「虎の威を借りる狐」
「虎の威を借りる狐」である浅井城衛はその「虎の威」をより尊厳にみせようとしています。
私たちは、大聖人様の大恩徳を、浅井先生のご指導を通してはじめて知り奉ることができた。
令和5年11月28日総幹部会
先生こそ、広布前夜に一度しか起き得ない御遺命破壊という未曽有の大悪が出来したときに、大聖人様が召し出だされたお方。
令和5年12月22日総幹部会
先生が大聖人様の御内証の深秘を如実に拝し奉られている証。
令和6年2月24日総幹部会
まさしく先生こそ、大聖人様が広布前夜の濁悪極まる時に遣わされ「遣使還告」の重大なるお立場のお方と、伏して拝するものであります。
令和6年3月25日総幹部会
日蓮正宗では「大聖人様の御内証の深秘を如実に拝し奉る」「遣使還告のお立場」とは御法主上人のみ
日蓮正宗においては、「大聖人様の御内証の深秘を如実に拝し奉る」「重大なる遣使還告のお立場」というのは、唯授一人金口嫡々血脈付法の御法主上人のみであり、大慢心のゆえに日達上人の御教導に従えず日達上人を誹謗中傷し、挙句には信徒除名になった浅井昭衛をそのような立場と位置付けることは、けっして許されることではない大謗法です。
浅井昭衛は大謗法者
予言すべて不適中
浅井城衛は「虎の威」を借りるために、浅井昭衛を大聖人直結の立場としたいのでしょうが、浅井昭衛の生前の言動をつぶさに検証すれば、化けの皮がはがれます。 教線拡大と自身への求心力増加のために、大聖人の御声を聴き奉ったかのように、広宣流布の時期を特定したり、三災七難の到来する時期を予言し続けましたが、すべて不適中でした。
“浅井昭衛の予言不適中”の詳細は当ブログ「浅井昭衛が外れ続ける『予言』をする〝理由〟」を閲覧ください。
浅井昭衛の「国立戒壇論」は〝陳腐〟〝滑稽のいたり〟
一見理論武装したかのような「国立戒壇論」も四神相応でない「天母山」に築壇では、お粗末としかいいようがありません。
浅井昭衛の〝国立戒壇論破折〟の詳細は当ブログ「国立戒壇論破折 その〝致命的欠陥〟」を閲覧ください。
浅井昭衛の謗法中の謗法は「ニセ本尊」作成
浅井昭衛の謗法中の謗法は「ニセ本尊」作成です。講中解散処分となり、宗門から御本尊を下付していただけなくなったため、「ニセ本尊」つくりに手を染めてしまいます。各会館に安置されている「日布上人の大幅の形木本尊」という代物は、宗門が認めていない、御法主上人から開眼をいただいていない、浅井昭衛が勝手に作った「ニセ本尊」であることが明らかになっています。
浅井昭衛の「ニセ本尊作成の大謗法」の詳細は当ブログ「日布上人の大幅の形木本尊は“ニセ本尊”」「顕正会の大幅の形木本尊は“ニセ本尊”」「創価学会の『ニセ本尊』を批判できない浅井昭衛」を閲覧ください。
顕正会員は〝富士の清流〟である日蓮正宗に帰依すべし
顕正会の皆さん、浅井城衛の「浅井昭衛讃嘆」に騙されてはいけません。浅井昭衛は「ニセ本尊」つくりに手を染めた大謗法者です。顕正会の皆さん、人生の大目標〝一生成仏〟のためには、正系門流の日蓮正宗に一日も早く帰依し、大御本尊様にお目通りがいただける信心をすることが最大事です。
「富士の清流」たる「日蓮正宗」の信仰については当ブログ「日蓮正宗への誘い」を閲覧ください。