宗門僧侶の実名が伏せられた活動報告
「宗門僧侶の実名が伏せられた活動報告」は、顕正新聞令和4年7月15日号に掲載
小沼の活動報告は、報告の基本である「5W1H」に欠け、信憑性が疑われる
顕正会副教学部長・小沼貴寛は、令和4年6月度男子部班長会(6月27日)において次のような活動報告をしていますが、小沼と対面したとする御僧侶を「関東の宗門末寺の一住職」「住職」「僧侶」とだけ紹介し、その実名を明らかにしていません。「二度にわたり話す機会がありました」としていますが、二回の面談の日時、場所もぼかしています。報告の基本である「5W1H」に欠け、極めて信憑性が疑われます。
このたび関東の宗門末寺の一住職と二度にわたり話す機会がありました。
顕正新聞・令和4年7月15日号
当初は徹底糾弾するつもりで住職と対面したものの、話をするうちにまじめな考えを持つ僧侶であったことには驚きました。(中略)
住職に対し、早瀬日如管長の「80万達成宣言」の大ウソについて見解を尋ねると、住職は
「ウソと言われればそうかもしれない」(中略)
「80万というが、その実体はない」
などと正直な気持ちを打ち明けてきたのです。(中略)
さらに宗門が疲弊した理由を
「かつて学会がいた時代から宗門は折伏の先頭に立っていなかった。宗門は冠婚葬祭だけをやっていた。指導もロクにしなかった」
「恥ずかしながら僧侶は学会員を〝食い扶持〟と思っていた」
と述べ、反省している様子でした。
ついでに大草一党の悪行についての見解を問うと、住職は妙観講の逸脱した活動に嫌悪感を露わにしておりました。(中略)
後日、住職は電話で
「宗門の悪いところは反省しないといけない。反省のないところに進歩はない」
と語り、私と再度の面談を求め
「これが表沙汰になれば、僕はクビになるかもしれない。でも私には信念がある」
と心の内を語ってきました。
先日、この住職と再会し、基礎教学書の感想を尋ねました。住職は
「正本堂の背景にはいろいろなことがあった。基礎教学書に書いてあるとおり」(中略)
「基礎教学書は筋道がわかりやすく、痛快でよどみなく書かれている」
と称賛しておりました。
今までの小沼の活動報告は一方的に事実歪曲し信憑性に欠けている
小沼は教学部発足(平成31年)以来、総幹部会などで、宗門御僧侶、法華講活動者との法論において、〝一刀両断〟で打ち負かせたと自慢話をしていますが、そのどれもが「事実歪曲」「事実捏造」したもので、まったく信憑性はありません。小沼、浅野に代表される顕正会教学部員の〝手口〟は当ブログ「
〝焦燥感〟を強める顕正会教学部員」で説明させていただいております。
今までの小沼の活動報告は「事実歪曲」「事実捏造」に満ちたものであっても、報告の基本である「5W1H」、御僧侶、法華講活動家の名前、相対した日時・場所は明らかにしていました。
小沼は、二度相対した御僧侶名を明らかにするべきである
しかし、今回の活動報告には御僧侶の実名、相対した日時・場所は伏せられています。小沼が、宗門に批判的で顕正会に共感をいだく御僧侶の宗内での立場を慮ってあえて〝匿名〟にしたとも考えられないこともありませんが、小沼と二度相対したとする御僧侶が「これが表沙汰になれば、僕はクビになるかもしれない。でも私には信念がある」と実際に話しているのだとすれば、名前を公表してもいいのではないか、と思います。その御僧侶には「強い信念がある」からです。
小沼は、二度相対した御僧侶名を明らかにできない場合、活動報告は〝捏造〟された疑惑が深まる
小沼は〝匿名〟の御僧侶名を明らかにすることによって、その御僧侶に活動報告での話された内容の真偽を確認することができます。逆にいうと、御僧侶名が〝匿名〟のままでは、御僧侶の発言内容の真偽は永遠に確認できないままです。
小沼と二度相対したとする御僧侶が「これが表沙汰になれば、僕はクビになるかもしれない。でも私には信念がある」と言われているのだとしたら、御僧侶名をあえて伏せる必要もありません。
小沼は、二度相対した御僧侶名を明らかにはできないのでは
いくら待っても、小沼は、二度相対した御僧侶名を明らかにはできないのでは、と思います。
ここからは、私の推論となります。
教学部で活動報告ができる登壇者が見当たらなかったため、小沼が、仕方なく、宗門に批判的で、顕正会に理解を示している〝匿名〟の御僧侶という〝でっち上げ〟の人物を作り上げたのではないでしょうか。もし、それが事実だとしたら、「ニセ本尊」を崇める〝害毒〟、「頭破作七分」の現証に他なりません。かわいそうですね。