清流への誘い

創価学会の「ニセ本尊」を批判できない浅井昭衛

浅井指導「学会の五つの大謗法」に〝ニセ本尊批判〟は含まれず

 浅井昭衛は平成7年11月度総幹部会において「学会の五大謗法」と題して、次のように述べています。

本年に入って、学会の仏法破壊はもう極限まできた、その全貌を現わしてきたという感がある。(中略)その大綱を五つにまとめて,挙げておきます。(中略)
第一に御遺命破壊
第二に戒壇の大御本尊否定
第三に血脈否定
第四に御本仏否定
第五に謗法与同
であります。(中略)
この五つのうち、始めの三つ、すなわち戒壇の大御本尊様と血脈と御遺命は、下種仏法の枢要・命です。学会はこれを否定し、この枢要を留めおかれた御本仏・日蓮大聖人を軽んじ、そのうえ邪宗と手を組んだのです。もう学会は、完全に邪教化したといわねばなりません。

顕正新聞 平成7年12月5日号 平成7年11月25日11月度総幹部会

顕正新聞平成7年12月5日号より 学会版〝ニセ本尊批判〟は含まれず

浅井指導「学会の五つの大謗法」を読み解く

浅井は平成7年当時には「唯授一人の血脈相承」を否定していなかったため、「学会の血脈否定」を「第三の大謗法」とした

 浅井は平成7年当時ではまだ「唯授一人の血脈相承」を否定していませんでした。それで、学会の「血脈否定」を「大謗法」と取り上げたのです。
 浅井の「唯授一人の血脈相承」を尊崇する文証は次の通り、多く残っています。

 かくて日道上人・日行上人・日時上人・日阿上人・日影上人・日有上人と、「本門戒壇の大御本尊」を付属の法体として代を重ねること六十七、清浄の法水はいささかも断絶することなく今日に至っている。これが正系門下・富士大石寺の伝統である。         

富士274号 ( 昭和61年11月号)

 何代・代を重ねようとも、また面授の儀式があろうとなかろうと、断絶もせず、色も替わらず、伝わるように出来ているんだ。これが御本仏の御仏智なのです。だから御相承の儀式のあるなしは、本質的には全く問題ない。断絶などあり得ないのです。      

顕正新聞平成5年1月5日号

浅井は平成11年以降なら「学会の大謗法」の項目に「学会の血脈否定」を取り上げなかったはずである

浅井が「唯授一人の血脈相承」を否定したのは平成11年になってから

 浅井が日蓮正宗の根幹である「唯授一人の血脈相承」を否定したのは平成11年4月12日の本部指導会の席上でした。浅井は次のように悩乱した発言をしています。

 細井管長(日達上人)は昭和54年7月22日、入院していたフジヤマ病院で、臨終思うようにならず急死を遂げた。貫首の立場にある人が、誰もそばにいないとき、一人で急死してしまった。よって御相承をすることができなかったのであります。まさしく御遺命に背いたゆえに、細井管長は御相承を「授ける」ことができず、阿部管長(日顕上人)また御遺命違背の科によって「受ける」ことができなかった。「授」なく「受」なしであります。

顕正新聞平成11年4月25日号 平成11年4月12日本部指導会

 御遺命守護完結(平成10年4月5日 大御本尊の正本堂から奉安殿への御遷座)後は宗門に復帰できるとしていたシナリオは永遠に有り得なくなり、浅井は宗門と完全決別して独自の在家教団として存続していく道を選択せざるを得なくなりました。破門後の創価学会と同じように、顕正会が日蓮大聖人の仏法の正統な団体と位置付けるためには、本宗の唯授一人の血脈相承を否定することがまず必要であったのです。

浅井は顕正会に都合が悪い「学会の謗法」は批判していない

顕正新聞年11月15日号掲載 

顕正会に都合が悪い「学会の謗法」とは

 「顕正会に都合の悪い」というのは「顕正会も学会と同様の謗法を犯しているため、学会の謗法を責められない」ということです。「顕正会の学会と同様の謗法」を列挙してみます。

学会の最大の謗法は〝ニセ本尊〟作成・授与

学会は平成5年10月から学会版〝ニセ本尊〟を作成・授与

学会は、平成5年10月からの学会版〝ニセ本尊〟の作成・授与の理由を次のようの会員に説明しました。浅井は、この学会のニセ本尊〟の作成・授与という最大の謗法行為について攻撃していませんし、何のコメントもありません。

栃木・浄圓寺の成田宣道住職ならびに日蓮正宗改革同盟・青年僧侶改革同盟より、同寺所蔵の日寛上人書写の御本尊を御形木御本尊として学会員に授与し、存分に拝していただきたいとの、信心の真心あふれる申し出があった。創価学会は、この申し出を「信心の血脈」を受け継ぐ和合僧団の資格において受け、会員に授与していくことを、ここに決定するものである。

大白蓮華1993年10月号 「御本尊授与に関する制定」

学会の「ニセ本尊」作成を批判しないのは顕正会も「「ニセ本尊」を作成しているため

 学会の〝ニセ本尊〟の作成・授与を攻撃しない、批判しない、まったく何のコメントも出さない、「学会の五つの大謗法」に入れない、というのは、浅井も学会と同様に〝ニセ本尊〟作成に手を染めたからと、十分判断できるのではないでしょうか。
 おそらく、平成4年4月の事務所安置の「日布上人の本尊」(サイズ不明)平成6年11月の会館安置の「日布上人の本尊」(サイズ不明)平成9年9月仙台会館安置の「日布上人の大幅の本尊」(形木か御真筆か明らかにせず)は、極めて〝ニセ本尊〟の可能性は高いと思います。

浅井は昭和53年の学会の〝本尊模刻事件〟に関して一切言及せず

 昭和53年に学会の〝本尊模刻事件〟が発覚しました。〝本尊模刻事件〟とは、学会が日達上人の御許可を得ずに学会の数体の紙幅本尊を板本尊に模刻した大謗法行為です。〝本尊模刻事件〟の詳細はこのコンテンツの主旨でないため割愛しますが、詳細を知りたい方は次のリンクからお調べください。

本尊模刻の大謗法 菅野慈雲御尊師
 

〝本尊模刻事件〟は大謗法です。浅井にとって格好の学会の攻撃材料のはずです。しかし、学会の〝本尊模刻事件〟について、機関誌「冨士」では、淡々と紹介していますが、〝本尊模刻〟という大謗法行為について浅井は何の言及もしていません。

冨士昭和54年7月号(190号)「妙信講一年の歩み」よりの引用

9・3 学会、御本尊模刻を認める記事を聖教新聞に発表

「9・20 反学会僧侶、学会の本尊模刻事件を未曽有の大謗法と宣伝す」

「9・28 学会、模刻本尊八体のうち、七体を総本山に納める」

冨士190号(昭和54年7月号) 妙信講一年の歩み(昭和53年6月~昭和54年5月)「宗門・学会の事項」

 浅井が〝学会の本尊模刻事件〟について沈黙を貫いたのは、旧本部会館(昭和48年建設)二階の礼拝室の本尊をモニターTVで撮影し、「モニターTV本尊」を会員に拝ませていたためだと思います。「モニターTV本尊」も「学会の模刻本尊」と同様に、〝ニセ本尊〟ということになります。
「モニターTV本尊」の詳細は「顕正会員さん、『会館本尊』を撮影しませんか」をご覧ください。

〝ニセ本尊〟作成は大謗法 顕正会は大謗法団体

 浅井が作成した〝ニセ本尊〟の詳細な説明は、当ブログの次のコンテンツにありますので、ご覧になってください。

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